ground bridal communication
グラバコ「街とアートの結婚式」への出展プラン

 2004/5/23 12:00-5:00
 定禅寺通り・ 一番町四丁目商店街(仙台市)
主催:GROUND
青葉区まちづくり活動助成事業


 

"www――wind, wound, winding"

「結ぶこと、結ばれること、そしてそれがつづいていくこと」

「LOCO結婚式」にちなんで、「結婚」をテーマにした作品を制作したいと思います。素材は、昨年来取り組んできている毛糸と、LOCOさんにちなんだ紙コップ、そして坂本・アクバル夫妻というニ組の夫婦です。
毛糸は、編むもの、結ぶものとして、結婚そのものや、それによって生まれる血縁関係、それを取り巻く社会、文化といったものを暗示しています。それは選び取られたものである一方、不可避的に結びつけられたもの、しばりつけられ、巻きとられたものでもあります。そうした網の目のような関係性は、インターネット上に生じたサイバー・スペース"www(world wide web)"の原初的なかたち、あるいは仮想空間に対する実在性としてのそれとしてとらえなおすことができるかもしれません。個人という縦糸と、社会という横糸を、毛糸という実にアナログな素材を用いて提示するというこの試みは、あまりに率直な比喩ではあれ、アナログであるがゆえによりいっそう力強く象徴的であり、素朴であるがゆえにある種得がたい美な存在として、作品化できるのではないかと思います。
この抽象的・象徴的な空間に、私が具体性をもって紹介したいのが、坂本夫妻、そしてアリ・アクバル、タジワール夫妻です。一方は戦乱の国を生き長らえ、他方は平和の国で命を落とすことになった、この二組の夫婦。「結婚式」という、動作として用いられる言葉が、「結婚」という、状態を表わす言葉へと移行して後の夫婦のあり方を紹介することで、結婚式の祝辞、はなむけとしたいと思います。むろん、そこから何か「教訓」のようなものを引き出すための「事例」としてではなく。

 

展示のようす

展示までに考えたこと

 

「グラバコ」
…世界唯一の紙コップアーティストLOCO氏によるアート・パフォーマンス「LOCO結婚式」への「お祝い」として、仙台市中心部の商店街遊歩道に展示される、アートサービスチームGROUND主催のアート・イベント。点在する、積み上げられた白い立方体型のダンボールの中には、それぞれ出展作家による作品が設置されており、訪れた人はそれを開き、中をのぞき見ることによって、その作品を目にすることができる。

 

 

 

展示イメージ(左図)
実際には扉は一方向ではなく、それぞれ別々の方向に開きます。これは「現実」がひとつの「超越的」視点から見ることができないことの暗示である一方、開いた扉から見る視点しか「この私」には与えられないということ、逆に言えば世界は「この私」から開かれるということでもあります。 縦糸は先に紙コップをつけて、ダンボール一段目の天井から三段目までぶらさげます。そこに横糸を通します。毛糸はピンでダンボール面に穴をあけて固定します。 一段目と二段目の扉には、それぞれアリ・アクバル、タジワール夫妻、坂本夫妻についてのテキストを付し、三段目にはこの展示についての簡単な説明をつけたいと思います。

 

 

テキスト

アリ・アクバル、タジワール夫妻
アフガニスタンはヤカオラン出身のハザラ人、アリ・アクバルさんとタジワールさんは、それぞれ18歳、16歳のときに結婚。ソ連軍のアフガニスタン侵攻とその後の内戦による20年以上の混乱の中で、ほとんど離れ離れの暮らしを送ってきました。
夫アリ・アクバルさんは子どもの頃からなりたかった教師になることができましたが、ソ連の侵攻にともない、これと戦うため義勇兵として戦地へ。ソ連撤退後にはひきつづき内戦が勃発。2001年にはタリバンによって村の男たちがみな殺しにされる中、ひとり奇跡的に助かり、家族ともどもパキスタンの難民キャンプへと脱出しました。
妻タジワールさんは、女であることを理由に学校に行くことができず、結婚してからの生活は、一男四女をはじめとする家族の世話に明け暮れ、いつも夫を待ち続ける暮らしでした。2001年、北部同盟の銃撃を受けたときも、身をていして小さな甥たちの命を守りました。パキスタンの難民キャンプにのがれて後、50歳近くになって、やっと読み書きを学ぶことができるようになりました。
ふたりがようやくいっしょに暮らせるようになったのは、祖国を後にし、難民となってからでした。アクバルさんは、難民キャンプの学校で子どもたちに祖国のことを語ります。それは祖国を溺愛し、ほめたたえるような内容のものではありません。何が悪かったのか、どうしてわが祖国は長い戦いに明け暮れることになったのか、なぜ妻や娘たちは教育を受けることができなかったのか。そしてふたりは平和な祖国に帰る日を、何よりも待ちわびているのです。
※アリ・アクバル、タジワール夫妻を軸に、アフガニスタンの20年以上にわたる内戦について描いたドキュメンタリー『ヤカオランの春 あるアフガン難民の生涯』(川崎けい子・中津義人監督)が、この秋11/3にせんだいメディアテークで上映されます。

 

坂本夫妻
横須賀出身の堤さんと茨城県那珂郡大宮町出身のさとこ都子さんは、それぞれ27歳、24歳のときに結婚。おのおの別の法律事務所に勤めながら、被害者救済のために尽力しました。
夫堤さんは高校生の頃、友人から、就職した会社が約束を守らず、夜間高校に通うことができないと聞かされ、社会に存在する不正な権力関係に気づきました。それからは弁護士になることを目指し、念願かなって弁護士になると、労働問題のほか、子どもの人権問題や霊感商法などの訴訟に取り組みました。1989年、オウム真理教に入信してしまった子どもの安否を相談する親からの相談を受けると、これをきっかけに被害者の親らを組織化、窓口となってオウム真理教と交渉をはじめました。週刊誌やテレビの取材で、堤さんが教団にとってとても不利な内容の発言をし、する予定であることを知ると、教団幹部は一計を案じ、堤さんを殺害することにしました。
妻都子さんは「幸せさがしの名人」と呼ばれていました。障害者が自立できる社会づくりを目指してボランティア活動をつづけ、法律事務所に就職後は、クレジット・サラ金問題に取り組み、豊田商事破産事件などに尽力しました。1988年に長男を出産。その子が1歳と2カ月のとき、教団の6人が堤さんを襲うべく、寝静まった坂本さんの自宅に侵入。都子さんは「子どもだけはお願い」と嘆願しましたが、一家みな殺しにされ、三県にわたって別々の場所に死体は遺棄されました。
都子さんの残した短い詩は、こんな風につづられています。
  赤い毛糸にだいだい色の毛糸を結びたい
  だいだい色の毛糸にレモン色の毛糸を
  レモン色の毛糸に空色の毛糸を結びたい
  この街に生きるひとりひとりを結びたいんだ
※都子さんのこの詩は、その後CD『SATOKO』として発売されました。

 

 

 

 

 

展示のようす

展示までに考えたこと

つなぐこと 結ぶこと SATOKOプロジェクト

home

関連リンク

ヤカオランの春 あるアフガン難民の生涯

SATOKO

一番町四丁目商店街

GROUND

LOCO