街を結ぶもの
「SATOKO」プロジェクト

11/2-3 仙台サンモール一番町商店街
いろは横丁、野中神社


展示までに考えたこと

 

 

2003/8/23 sat

 先日、たまたま妻が見ていたTVで坂本都子氏の話が出てきて、その偶然にびっくりしているのだが、すこし前から氏の残した詩をもとに、ひとつの作品を作りたいと思っていて、かくれんぼアートはそれにうってつけの展示場所を提供してくれるかもしれない。
 わたしがその詩について知ったのは、一年ほど前、こちらのサイトを通してで、しかもそれに歌詞をつけて「SATOKO」というCDも出ているという。実は最初、その悲惨な事件の被害者という事実が、かえって私をその曲から遠ざけていた。ある人のことばを借りれば、「お涙ちょうだいみたいなものを想像しがち」だったのだ。
 だからCDを聞いたのは数ヶ月後、知り合いの方がこの「SATOKO」の弦楽バージョンをプロデュースしたというので、ぜひ聞きたくなり、新たに出た弦楽四重奏によるものとともに、歌詞の入ったオリジナルも注文した。
 届いたCDを聞いて、私は自分の思い込みのあさはかさにがくぜんとしたのをおぼえている。オウム真理教事件の被害者についての歌という、私が勝手につくりあげたひとつの矮小化されたイメージを大きく裏切って、それはまったく作品として自立したものだった。つまり、オウム事件という文脈はそれとして並行して存在しているものの、その作品はその従として存在するものでは決してなかった。
 たとえば、こうして自分が現代アートと称するものに取り組みながら、作品として自立していない、つまりアイデアが先行するあまり、作品と呼ぶに至らないものがいかに多いかに思い至ることがままある。アイデアは素晴らしいし、何を言いたいのかはよくわかるのだけれど、ただ、それをアートとして提示する必要があるのか、あるいは提示するにしても、アイデアの「正当性」にかまけて、その方法をなおざりにしているのではないか。それで本当にアート作品として相手に感銘を与えることができるのか。
 私のような偏見に満ちた人ばかりではないとは思うものの、かえって付随する衝撃的な物語が、ある作品の正当な評価を難しくしているものがあるように思う。しかし、それをおそれずに立派に成功しているものも、たくさんある。


9/30 tue

 Lifetown Art Tourの第三回に考えていた、毛糸で街をつなぐプロジェクト、商店街からも許可がでたとのこと。


10/6 mon

 「街を結ぶもの」 SATOKOプロジェクトの概要が決定したのでアップ。参加できるプロジェクトもありますので、どうぞご参加ください。


10/16 thu

 SATOKOプロジェクトの毛糸が届き始める。明日は実際に現地ですこし展示してみて、具合をみてみようと思う。
 街を結ぶ毛糸は、アート・イベント会場受け付け横を出発点として、アーケード街や横丁を結びながら、野中神社へといたるわけだが、訪れた人に毛糸を結んでもらい、この受け付け横の、毛糸の出発点を延長していくというのはどうだろう。ちょうど3件もつづいて空き店舗になっているスペースなので、がらんとしたその店先を、毛糸で埋めてしまってはどうか。


10/17 fri

 SATOKOプロジェクト、ためしに実際の展示場所にすこし展示してみる。タイミングがずれてちょうどお昼どきにあたってしまい、ぞくぞくと通りをゆきかう人々の中、ちょうど1時まで展示パフォーマンス。不思議そうに毛糸を見上げる人や、何かききたげな人もいたのだが、とにかく急いでやってしまおうと、こちらから「こんなイベントがあるんですよ」といった宣伝はひかえていたところ(いちおうチラシはもってきていたのだが)、ひとりだけ「すみません」と声をかけてくる人が。しかし「丸善はなくなっちゃったんですか?」とかいう人だったりする。
 毛糸はけっこう不思議な重みがあって、10mほどはなれた隣の柱にひっぱってつないだりしているときの感覚が、何かに似ていると思っていたのだが、子どもの頃にやったたこあげに似ているのだ。
 とりあえず、これはけっこういけそうな気がする。


10/18 sat

 「SATOKOプロジェクト」を行うサンモールといろは横丁を、歩幅ではかって歩く。毛糸の全長は約850m。これを基本的に四本の毛糸で結ぶつもりなので、4倍の長さの毛糸が必要になる。展示計画の詳細図はこちら


10/19 sun

 近くの海(ということはあんまりキレイじゃない…)へ流木を拾いに行く。とてもいいものを見つけたので、今度はそれを作ろうかと思っている。
 しかしそうした拾いものより何より、砂浜に点々と立っている電柱を見つけ、ここで「SATOKOプロジェクト」を展示できることに気づいた興奮の方が大きい。晴れた日に来て、この砂浜に毛糸を結んでみよう。50mほどの間隔を置いて、ちらほらと立つ20本ほどの電柱。誰もいない平日の海に突如出現するアート。


10/20 mon

 電柱や電線は、子どもの頃の記憶の底に沈んだとても固い層にあるもので、一時期は景観を損ねるからいやだなぁと思ったこともあったけれど、絵を描くようになって、あまりそういう風には思わなくなった。電柱や電線を主題にして描いてみたいとかなり前から思っている。それは本当に、直截に街を結ぶもので、そこを流れるものを通じて、私たちはつながっている。むろん、それをつながれていると言うこともできる。しかし今の私には、そう置きなおしたところで何のかわりもない。オリジナリティとか権力とか、そんな自分の幻想を相手にするよりも、もっとリアルなものを求めたいと思う。


10/21 tue

 日曜に、海に行ったときに思いついたことを実行する(こちら)。ほとんど人のいない中、砂浜に点々と立つ電柱を毛糸で結ぶ。1時間ほどで、5本の電柱に4本の毛糸を結びつける。途中、サーファーが話しかけてきたので、何をしているのか知りたいのかと思ったら、私があまりに近づいて車をとめたために、ハッチバックのドアを開けないから移動してくれというものだった(ここではセダンに乗っているのはサーファーじゃない私くらい)。車を移動させ、別れ際に、申し訳程度に「何してるんですか? 線引き?」と尋ねてくる。アート作品を作っていて、11月に街中で展示するむね説明し、私も申し訳程度にどうぞいらしてくださいと言う。何か気の毒そうに「いろんな趣味の人がいるからねぇ」と口走っていたけれど、最近こういう直な反応をする人がいなくてかえって新鮮ではある。


10/22 wed

 雨の予報に反して、午後から日が差し始めたので、牧草地へと出かけ、毛糸を結ぶところをさがす。ちょうどうまい具合に、まるで私のために誰かが立ててくれたかのような棒が点々と立っている。しかし時間がなかったので、毛糸を3本、200mほどつないで、そのままにして帰る。朝方に降った雨で、くつも足元もびしょびしょだ。


10/23 thu

 すばらしくおだやかな日。昨日設置した毛糸を取りに行く。草も毛糸もすっかり乾いて、少し前に300円で買い、とりよせたフィルムを昨日受け取ったばかりのポラロイドカメラ(JOYCAMヒッパレー。90年代半ばにヒットしたものらしい)も使って撮影する。すごくうつりが悪い。


10/24 fri

 刈田沿いの道を車を走らせていると、稲を干している光景に、毛糸を結びつけたらどうだろうと思う。落穂拾いをしていた農家の方に事情を話し、毛糸をはらせていただく。今年は不作でたいへんらしいのだが、落ちている穂は、からすがひきぬいたものなのだという。巨大な団地造成のために、以前もっていた田を手放し、30年ほど前に再びこの地で稲作を始めたとか。


10/25 sat

 SATOKOプロジェクト、11/2のみのイベントであるLifetown Art Tour(仙台市主催、企画運営ground)への出展作として企画したのだが、どんどんと私の中で増殖し、ひとり歩きを始めているといった風で、たとえば翌11/3も展示すべきだと毛糸たちが訴えかけてくる。11月2-3日は連休であり、3日には仙台の並木通りのひとつである定禅寺通りで『杜の都のアート展』というイベントもあることだし、何より「文化」の日でもあって、それはとても自然な流れではある。
 ということで、商店街の理事の方がたにお願いに出かけ、3日の日も展示できることに。
 以前、同じ場所で、ロジアートというアートイベントに出展したことがあったのだけど、その時はこうして自分でいちいちお店やら組合にお願いに行って、それこそ「街を結んでいる」という気がしたものだが、9月から出展参加しているこのイベントでは、ほとんどひとを介して交渉してもらっているために、プロセスとしての作品づくりのおもしろみや複雑さ、思ってもみなかったアイデア、そこに住む人にしかわからない視線を知る驚きといった要素が、すっかり抜け落ちてしまっているように思う。いわば私は外来者、オリエンタリストとしてそこへやって来て、展示をし、去っていく。そのまるで寄生種か何かになったような気分。これはアートとかそういうことに限らず、関わり方という点において、ということはあらゆる意味において、致命的なことだと思う。この反省は、当然のことでありながら、私にとってとても貴重だ。


10/26 sun

 午前中、SATOKOプロジェクトの展示場所の件で一件のこっていた交渉をすませ、午後からは以前よくスケッチに通った川の上流に出かけて、川の上に毛糸をはる。まだ少し紅葉には早いので、もう少したってからやってもよかったなと思いながら、連れて来た猫があんまり鳴くのでよしよしをしているとき、ふとこのまま来週行うアーケード街での展示が終わるまで、このままにしておこうと考える。あるいは、紅葉であたりが美しくなるまで。
 たとえば冬の日、雪が深く降り積もる晩などに、私はよくスケッチに出かける山は、今頃どんなだろう、と思うことがある。それは「誰もそれを聞いていない山で倒れた木は、音を立てるか」といった問いと対称なすもので、私は山の様子や生きものたちの気分を想像してみる。そして山に置いてきた毛糸たちについても。それはとても不安な気持ちである一方、こどもの頃に抱いていた夜や山についてのどこかわくわくするような思いでもある。明日は朝から仕事なので行けないが、火曜か水曜には行って来れるだろう。


10/27 mon

 まだとっても準備中なのだが、今進めている毛糸でいろいろな場所をつなぐ「作品」に関するページを、つなぐこと 結ぶこと 「SATOKOプロジェクト」としてアップしつつある。タイトルをまるっきり「SATOKOプロジェクト」とすることに躊躇してしまうのは、坂本都子さんの詩の毛糸は、人と人を結ぶということの比喩として使われているのであって、本当に毛糸で結ぶ、それも人のいない山やら草原やらを結ぶというのとは、かなりちがっているように思えるからだ。何かうまいネーミングはないかと思っているのだが、毛糸を意味する英語yarnには「つくり話」という意味もあって、けっこうおもしろいような気もするけれど、わかりにくい上に、その音「ヤーン」はあんまりいい響きではない(「いやーん」とかいう感じがする)ように思える。


10/28 tue

 雨だったのだが、おととい毛糸を結んで来た川の上流へと出かける。毛糸はまだそのままになっていて、ほんの中一日しかたっていないのに、紅葉がすすんだように見えるのは、雨でしっとりしているせいだろうか。すこしその風景の中にたたずんでみる。


10/29 wed

 少しずつ、先週撮った写真をアップしている(ここここ)。

 11/2-3に仙台市中心部でおこなう「SATOKOプロジェクト」、1日目の11/2は仙台市主催のLifetown Art Tourへの出展作として展示するので、ほかにも展示やパフォーマンスがあったり、カフェがあったり、ツアーしてまわると「おみやげ」がもらえたりするのだが、2日目11/3は私だけの展示なので、それらがない。毛糸をたどって、ふんふんここまでつながってたのか、だけではちょっと何なので、終着点まで来た方には、ささやかなプレゼントでも用意しようと思いつく。最初はアトリエの近くで拾ったどんぐりで何かを作ろうと思ったのだが、拾いに行ったところ、まだ時機尚早で、落ちていない。そこで今週から落葉しはじめた青葉通りの落ち葉と毛糸を使ったカードを作ることにする。展示場所が青葉通りをはさんでいるので、とても似つかわしい。


10/30 thu

 日曜の準備。


10/31 fri

 再び、日曜の準備。


11/1 sat

 一日、塾で教えた後、明日の準備をしてすぐ寝る。


11/2 sun

 朝4時前に起き、アトリエに車をおいて自転車で会場へ向かう。まだ真っ暗だ。会場の近くが私の塾なので、すでに運び込んでおいた荷物を取り、会場であるアーケードへ。前日に商店街から借りておいた脚立を出して、展示を始める。覚悟はしていたものの、予想以上に時間のかかる作業であることがわかる。とりあえず11時からのスタートまでに、毛糸を出発点から終点まではひととおりたどれるようにする。こまかな設置などをしているうちに、あれよあれよと時間が過ぎて、一日が終わってしまった。展示のようすはこちらから。


11/3 mon

 展示二日目。天気が夕方になってくずれ、一時雨も。夜、展示を撤去していると、毛糸をたどってきたカップルが二組くらいいた。確かにカップル受けしそうな企画だったかもしれない。しかし、展示されてしまった毛糸も美しいのだが、展示している最中とか、撤去しているときの方がひとびとの目をひくようで、しかもやってる方もけっこうおもしろい。というか、そもそもこの企画自体、何かを結ぶものなのだから、そうした相互的なかかわりがないと意味を失ってしまうのだ。だから自然の中に結ばれた毛糸は美しいけれど、『SATOKO』の主旨とはちがったもので、それにその名を冠したタイトルをつけることは、はばかれるのだ。


11/7 fri

 とりあえず、「街を結ぶもの」SATOKOプロジェクト11月の展示の様子をアップし終える。ご協力くださった方、かげながら応援してくださっている方、どうもありがとうございます。次回12月展に向け、がんばっていきます。

 

 

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