「アフガン・アート・プロジェクト

キリンアートプロジェクト2005への応募作品

2004/11/29作成

ネット上で見かけて応募してみようと思った「キリンアートプロジェクト2005」への応募プラン。結果は選考外。

 


 

企画意図:テーマ「次次(ジジ)」

「ジジ…」というかすかな音から、私は自分が異なる土地、異なる文化の中に立ち、それと出会い、ふれ合うときにおこる一種のまさつ音のようなものを想像しました。そして「次次」という形は、ならんで立つふたりの人物。異なる土地、異なる文化に立つ私と、私ならざる誰か。それは私とともに異郷の地に立つ同郷の者かもしれないし、異郷の地の人物かもしれません。「この次」すなわち未来を表わす言葉でもあるこのふたりをならべるとき、それはただ単にならんだ個々の未来、つまり左側の「次」が表わすその左側の未来と、同じように右側が表わす右側の未来という、それだけで完結したものでなく、それらが並置され、同じ地平上にならぶことによって、そのふたつの、あるいはふたりの異なる未来(への視線)があらためてひとつの世界を支えるということ、すなわち個々の世界が閉じられたものでなく、その死が世界の終わりや完結でなく、異なる存在として、その未来への視線が、その関係性の中でとらえられることによって、それら個々の生や存在を、空間的・時間的に延長させて存在させるということ、未来に対して開かれた存在にしていくように思えます。
そのことの意味、そのことの幸せ、逆に言えばそれが次に対して、未来に対して閉じられていることの恐ろしさ。私は今、ちょうどそうしたライン上に立つ異郷の人々のことを思います。それはつまり、アフガニスタンのことで、私はそれを川崎けい子さんのドキュメンタリー映画「ヤカオランの春」を含む一連の取材から知りました。
私は、昨年来いろいろなところに毛糸を結ぶというアートを展開していますが、そうした川崎さんとの出会いは、私のアートとは何ら接点のないものだろうと最初は思っていました。しかしやがてアフガニスタンが絨毯の、つまりは毛糸の産地であることに気づくとともに、毛糸という線状のものが、絨毯という面状のものに織り上げられていくことを、伝統的な慣習という目に見えない糸によって縛られたアフガン女性が、自らの人生を絨毯のように織りなしていくことによって、その人生を開いていくという風に読み込んだ川崎さんの話を聞くにつれ、川崎さんとともにアフガニスタンに入り、現地の方の手を借りながら、アフガンの大地に壮大な毛糸のアート作品を制作・展示するとともに、それを川崎さんの手によってビデオ化し、日本へ持ち帰ったその毛糸とビデオ作品によってインスタレーションを制作するというプランに取りつかれました。そうすることで、当プロジェクトのテーマである「ジジ」すなわち異文化のふれあう音と、それらが並び立つ姿「次次」、そしてそれらが支える「次=未来」への視線とを、表現できるのではないかと思います。

 

企画概要  

1.ビデオ・イメージ(アフガニスタンでの展示)

アフガニスタンを訪れ、そこで飼われている羊からつくられた毛糸を使い、現地の人々の協力を得て、毛糸のインスタレーションを制作する(これまで行った毛糸を使った制作についてはこちら)。これを川崎けい子氏にビデオ作品にしてもらう。また、展示に使った毛糸の一部は、現地の方に織りものにしてもらう。

2.会場展示イメージ(日本での展示)

アフガニスタンで撮影したビデオ作品をプロジェクターで映し出すとともに、そこで手に入れた毛糸と織りものを使ったインスタレーション展示を行う。

 

企画詳細  

1.アフガニスタンでの展示制作とビデオ制作

アフガニスタンの首都カブールから北西に約350km離れたところにあるヤカオラン地方ビドムシュキン村で、毛糸を使った作品展示をする。
ヤカオラン地方は標高2500mを超えるヒンズークシ山脈の山岳地帯にあり、ハザラ人の住む土地である。中心地ナヤク周辺には小さな村が数多く点在するが、道らしい道もなく、電気も通じていないという。こうした村のひとつであるビドムシュキン村は、川崎けい子さんの映画『ヤカオランの春』の主人公であるアリ・アクバル、タジワール夫妻が住む村である。この村の人々、子どもたちに協力をお願いし、展示の説明・交渉から展示完了まで約1週間をかけ、このピクニック的要素をもった毛糸の作品を制作展示する(できればピクニックもする)。
村では羊を飼い、そこから毛糸を紡ぎ出し、絨毯を織っている。作品にはその毛糸を使い、アフガニスタンの国旗の色(黒、赤、緑)およびハザラ人の国旗の色(青)の4色の毛糸を、見わたせる限りの距離まで延長、その制作過程から完成・展示までを川崎さんにビデオ、写真で撮影・記録してもらう。
イメージ的には右のようなものを用意したが、作品の性質上、その場の状況などから最適な作品を制作していくこととしたい。
帰国後、撮影した記録を川崎さんに編集してもらい、5分程度のビデオ作品を制作する。

アフガニスタンではソ連軍の侵攻以来、20年以上にわたる戦乱がつづき、3年前の2001年11月、アメリカ軍に支援された北部同盟軍がタリバン政権を倒すというかたちで内戦に一応の終息をみるにいたりました。
69年生まれの私にとって、ソ連の侵攻にはじまるこの事件とアフガニスタンという場所は、その後のモスクワ・オリンピックやロス・オリンピックの相互陣営によるボイコットとともに、子どもの私の脳裏に刻みこまれた出来事であり、場所であり、私の少年時代を覆う冷戦時代の遺物でした。それが冷戦後にはじまった「新しい戦争」いわゆる「テロ戦争」によって「清算」されたということは、何とも象徴的でわかりやすい構図です。
しかしその「清算」とは、単なる説明的なひとつの時代の区切り、つまりは「物語」に過ぎず、リアルな場所としてのアフガニスタンは、やはり力の強い国の「新しい」論理によって、結局はこれまで通り、力の「弱い」国に押しつけられる帳尻合わせの場としての役割を割り振られつづけるのではないかと思います。
しかしそんな中でも、戦争がないということ、観光だ、アートだといって出かけて行けることを、私は素直に喜びたいと思います。蹂躙されつづけたその爪跡を、この土地から紡ぎ出されるやわらかであたたかな毛糸でもって覆ってみたいなどという、ナイーブ過ぎる気持ちも持ちながら、しかし今度は私が毛糸で蹂躙するだけのことではないかとも思いつつ、異郷の地で、異郷の人々とならび立って、私の毛糸の作品を見てみたいと思うのです。
特にここヤカオランは、アフガニスタンの内戦ではいく度となく激しい戦いの場となったと聞きます。 98年9月のタリバンによる占領以来、北部同盟との間で争奪戦が繰り返された場所であり、そのつど住民は相手方に通じているのではないかと双方から見せしめのための虐待を受け、01年1月には数百人規模の虐殺も起きました。
ヤカオラン――ダリ語で「美しい大地」を意味するこの土地が、文明のすれ違う場ではなく、文明がもっとリアルな部分で「衝突」し、その結果ならび立つ場となるようにとの願いをこめて、私はこの場所で作品を制作・展示し、それを記録して日本へと持ち帰りたいと思います。
なお、できうるならば、これを出発点として、同様の企画を今後、アメリカ、イスラエル、パレスチナ、イラク、中国、韓国、ニュージーランドなど、あらゆる地域で展開していきたいと思っています。

 

2.会場での展示

図は、タマダプロジェクトアートスペースをウェブ上で見、それを想定してつくったもの。展示の性質上、その場の状況に合わせて変更するが、基本的には@ビデオ、A毛糸、B織りの3点を使った展示を考えている。
@ビデオはアフガニスタンでの毛糸の展示制作を撮ったもので、会場一番奥でプロジェクターにより投影する。
A毛糸はアフガニスタンで手に入れ、現地での展示にも使用したもので、会場を入口から奥に向かってのばす。
B織りは絨毯とタペストリーで、絨毯は床に敷いてビデオを観る人のために使い、タペストリーは天井からつるす。タペストリーはほつれて 糸に戻りつつある状態のものや、穴があきそうにうすくなった部分をもつものを、厚く織り上げられたものとともにつり下げる。
中央部から奥へ向かっては照明を落とし、プロジェクターのあかりで奥が明るくなるようにする。

私は昨年以来、さまざまな場所に毛糸を結ぶ、という作品を制作していますが(こちら)、こうした制作を行おうと思った直接のきっかけは、オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件の被害者坂本都子(さとこ)さんが生前にのこしたという詩を知ったことです。それはさまざまな色の毛糸をつなぐように街に住む人々の心をつなぎたい、といった内容の詩※なのですが、私はそれをオノ・ヨーコ風に、ひとつのインストラクション(指示)としてとらえ、比喩表現としてでなく、ばかばかしいほど生まじめにそれをやってみようと思いました。
  ※赤い毛糸にだいだい色の毛糸を結びたい
   だいだい色の毛糸にレモン色の毛糸を
   レモン色の毛糸に空色の毛糸を結びたい
   この街に生きるひとりひとりの心を結びたいんだ
その後、作品のひとつとして行ったアンケート調査でもそういった結果が出てきたのですが、毛糸=結ぶもの、関係性、やさしさ、あたたかさといったイメージで語られることが多く、実際、街に毛糸を結ぶというこのプランを口頭で説明すると、何やらほのぼの系の作品ととらえられ、私まで「いい人」のように思われがちです。しかしあるものが表わす文化的な意味について、私はとても興味がある一方で、そうした結論を先取りするような一定の方向性に、どうしても違和感をおぼえてしまいます。
たとえば、「結ぶ」ということがどうして肯定的な意味をもつのか、まったくわからないとは言いませんが、私には本当にはわかりません。関係性というのは本来、善でも悪でもなく、ただただそういうものであって、私たちは道徳的であるがために人とかかわりをもつのではなく、かかわりをもつことは人間をはじめとする生き物の習性であって、後づけ的にそれに道徳的な意味を読み込んでいるのではないかと私には思えます。そういう意味で、殺害されてしまった坂本さん一家と、これを殺害したオウム真理教教徒との間も、確かにある意味で結ばれていたのだと思います。そして3年前、日本や世界で多くの反対運動を巻き起こしたアメリカのアフガンへの派兵も。
たとえばアフガニスタンで内戦が終結し、ようやく平和が訪れたことについて、「その結果を見るかぎり、まるで戦争はいいことだったかのように誤解されてしまう」といったことを指摘する人もいます。しかし私にはそれは、何もかもを「道徳的」に読み込んでしまうために、つまり何らかの結論を先取りした中でそうした事実を位置づけてしまうために起こる必然的な「誤解」なのではないだろうかと思うのです。
そういう意味で、私の作品の中の毛糸も、関係性、導きの糸、束縛といったものを表わし、織りものは、織り上げられ、ひとつになっていくそれら関係性の集積、物語のかたちといったものをこの日本語の文脈の中で表わしますが、それがどこを向いているかを結論づけることはありませんし、できません。 私はすでにひとつの織りもの、完結した物語としての世界を信じることはありません。しかしその一方で、私はものがたりしない主体、一本の糸として存在する存在などということも信じません。糸は紡がれ、ばらばらな方向性や密度でもって、四方八方に広がっています。それがひとつの規則でもって集積することを「織る」といい、できたものを「織りもの」というのは、私が属する文化の、さらに下の層にある、基底としての規則です。それをもひとつの物語であるとするのはナンセンスでしょう。私はその地点、すなわち私を支えるいわば零度の地点から始めたい、あるいは戻したいと思うのです。そして展示するなら、つまり何かを問うなら、それを問いたいと思うのです。最初に毛糸を使った作品を作ろうと思ったとき、その意味にではなく、その在り方にのみ注目して、ひとつの指示に従うようにしてそれを作ったように。物語や人類愛や道徳みたいなものを前提せずとも、私は何かに対してやさしさをもったり、思いやりを感じたりすることはできるのではないか、何かとの関係性を善や悪に還元することなく、対したり、ともにならび立つこともできるのではないか、それを見て、安心できる意味をつかみとられるような、物語の比喩や縮図のようなものではなく、異郷の地で行う展示制作に私が持ち込むナイーブさも、即座に簡単に解体され、これ以上ないほどに基本的な規則の上でながめられるのではないかという期待、つまりはそうしたことからはじまる暖かさも冷たさも前提されないリアルな文化の「衝突」、出会い、そういったものを私は見てみたいし、体験したいし、展示したいと思うのです。
 

つなぐこと 結ぶこと
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