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上映会スタッフによるアフガニスタン資料

上映会スタッフがそれぞれテーマごとにアフガニスタンについての資料をまとめました。

もくじ
内戦のアフガニスタン」 門脇篤
砂漠化するアフガニスタン」 小原綾子
復興への政治プロセス――アフガニスタン大統領選挙」  福澤真生子

 

 

 

 


内戦のアフガニスタン   門脇篤

伝統的なアフガン社会では、多くの伝統社会がそうであるように、女性は男性によって厳しく支配されなければならないという考えが強かった。女性は財産として、家族や名誉を象徴するものであるがゆえに守らなければならないものであり、地方で色濃く見られた結婚の形態は、夫となる者の家族が、妻となる11、12歳の少女の家族に金を支払って結婚する、というものであった。モスクや学校では、慣習を根拠とし、女性の活動を制限する様々な内容が、コーランを通じた読み書きやイスラムの教えとともに教えられ、しかもほとんどの女性はそれすら学ぶことができなかった。
二度の世界大戦を経て、国王そして共産党政権へと引き継がれ、進められていった近代化政策は、こうしたあり方に対し、結婚の最低年齢の設定や、少女への近代教育の導入、女性の参政権や就業の自由を認めるものだった。しかしそれがあまりに強権的かつ党派心的なものであったため、政府に対する反対運動を引き起こし、1979年にはソ連による軍事介入をも招くこととなった。このため、アフガン共産党政権とソ連占領軍に対するムジャヒディン(イスラム戦士。本作品の主人公アリ・アクバルさんもムジャヒディンとしてこの戦闘に参加した)の戦いは、もちろん大国と、それを後ろ盾にする傀儡政権への抵抗運動であったものの、それとともに、急激に進められる男女平等などの近代的価値観の押しつけに対する戦いという側面をもつこととなった。また、ムジャヒディンとしてひとくくりにされるこの対ソ連抵抗運動も一枚板ではありえず、たとえばイスラム教シーア派を信奉するハザラ人内部では、同じくシーア派が多数を占める隣国イランにより支援された原理主義過激派組織が、ソ連侵攻に反対して登場した抵抗運動の指導者(アリ・アクバルさんは、この指導者のもとで戦闘に参加したものと思われる)を打倒、ソ連との戦いよりもハザラ人内部での抗争に熱中するといった様相を呈した(これら組織はのちにイランにより「イスラム統一党」として統一され、本作品中で明らかにされるタリバンによるヤカオランでの虐殺前日、タジワールさんを銃撃するのである)。
地方の農村は、ソ連正規軍にゲリラ戦で対抗するムジャヒディンを積極的にかくまったため、ソ連軍による無差別的とも言える攻撃を受けることとなり、難民となって国内もしくは隣国へと避難、それらパキスタンおよびイランへの難民は600万にものぼったと言われる。
ゴルバチョフ書記長の登場と世界的なデタントを背景に、88年ソ連軍がアフガンから撤退、その後91年ソ連が解体するに至って、アフガン共産党政権も完全に援助先を絶たれ崩壊、ムジャヒディン各派による連立政権が樹立され、10数年ぶりにこの国に平和が訪れるかに見えた。しかし実際には、ムジャヒディン各派は主導権をめぐって抗争を開始、これまでよりいっそうひどい紛争状態へと突入していった。対立する各派は占領地で略奪や暴行、虐殺を繰り返した。そしてこの間に、パキスタンの難民キャンプで極端なイスラム原理主義思想の影響を受けて育った若者たちを中心とした新たな勢力、すなわちイスラム神学生を意味する「タリバン」が隣国パキスタンの支援を受け、急激に勢力をのばしていった。96年にはタリバンはムジャヒディン勢力を首都カブールから駆逐、女性の就業・就学の禁止、テレビやラジオを含む娯楽の禁止、美術品の破壊や公開処刑の実施など、独特の解釈による「イスラム支配」を行った。このため男手を失った女性たちは、街頭でものごいをするしか生きるすべをなくしてしまった。
ここに至り、互いに反目しあっていたムジャヒディン各派は、追い詰められたアフガニスタン北部で北部同盟を結成、タリバンと一進一退の戦闘をつづけた。たえず移り変る勢力地図上にあった地域では、占領者がかわるごとに敵方への内通を疑われ、住民への拷問や虐殺が行われた。本作品のヤカオランでは、150〜300人にのぼる住民が虐殺されたと言われる。こうした状況は、2001年11月、アメリカ軍の支援を受けた北部同盟が、タリバン勢力を駆逐するまでつづいた。しかし戦闘状態が一応の終息を見た今でも、女性への教育の場である学校や男女同権による選挙など、近代化を象徴するものに対する妨害・破壊活動はつづいている。
《参考》
川崎けい子「アジアの人々と教育 アフガニスタンからの報告」『内発的発展と教育』(江原裕美編、2003)、 「『解放』後も続く闇」『週刊金曜日』(2003年1月10日No442号) 「ヤカオランの光と影」『週刊金曜日』(2003年7月4日No466号)
川崎けい子・中津義人『ヤカオランの春 あるアフガン家族の肖像』(ビデオ、2004)
渡辺光一『アフガニスタン 戦乱の現代史』(2003)
前田耕作・山根聡『アフガニスタン史』(2002)
RAWA reporters, "Eyewitness accounts of Taliban massacre in Yakaolang"(2001, http://rawa.fancymarketing.net/yakw-r.htm)
朝日新聞朝刊「アフガンの試み 大統領選を前に」(2004年10月5日〜7日)

 

砂漠化するアフガニスタン   小原綾子
 アフガニスタンの子供(五歳以下)は3秒に1人、亡くなっている。子どもだけではない。数年前から広がった干ばつにより、人々は生きるために必要な水さえも保証されない生活を送っている。元々、乾燥した土地だが、ソ連の軍事介入にはじまり米軍の介入によって終わるという何とも皮肉な両端をもつ20年以上つづいた内戦による国土の荒廃、そして世界規模で広がる地球温暖化もその原因のひとつであるだろう。国土を斜めに横切るヒンドゥークシ山脈が、地図上でみるとあたかもこの地域によったしわのように見えるように、「周縁」として常に忘れられてきたこの国は、逆に近代化や冷戦下の代理戦争、環境問題といった「世界」のしわよせが集まる「中心地」であるのかもしれない。
アフガニスタンの多くの地域では、ここ数年、雨が降らない日が続いており、まさに運任せの生活が続いている。雨が降っても、地表の土を削りながら洪水になるだけで、地下水として地面に入っていかず、多くの村では数少ない井戸の水が枯渇したため、遠く離れた隣の村まで一日に何度も往復し水を運んでこなければならない。それに追い打ちをかけるように、乾燥した土地にわずかに生えている草を、家畜として飼っている羊や山羊が一生懸命食べている。家畜は肉やミルクとしてだけではなく羊毛としても提供している。その大切な家畜が草を食べてしまうのだ。このまま緑を食べ尽くしてしまうと風や水で土壌が流されてさらに土地が劣化していく。その上、冬には寒さをしのぐために薪が必要となり、人は木を切る。アフガニスタンはこのように今、まさに砂漠化の悪循環にはまってしまっているように見える。  
こうしたアフガニスタンの状況をよそに、9月11日、ニューヨークの貿易センタービルやワシントンをねらったテロ事件が起こり、その「結果」としてアメリカはアフガニスタンのタリバン政府への報復を決定した。結果的に、20年以上にわたる内戦とタリバン支配は終わったものの、さらに莫大な数の国民が生きる場所をなくし難民となった。こうして痛めつけられつづけてきたアフガンの人々が、国を復興していくにあたって、砂漠化は解決しなければならない大きな問題のひとつである。  私たちにできることは、まず彼らのことを知ることである。今回この上映会に足を運んで下さったことは、その第一歩だと思う。
《参考》
川崎けい子「消えゆく水と緑 砂漠化するアフガニスタン」『週間金曜日』(2004年9月3日、No.522号)
佐藤和孝『アフガニスタンの悲劇』(2001)
前田耕作・山根聡『アフガニスタン史』(2002)

 

復興への政治プロセス――アフガニスタン大統領選挙   福澤真生子
2004年10月9日、アフガンで同国初の大統領選挙が行われた。選挙を「米国によるアフガン支配を強化するもの」として妨害活動を続けているイスラム武装勢力の活発化により二度に渡って延期され、結果、国会議員選挙とは切り離して行われることとなった同選挙はほぼ予定通りに投票を終了。16日午後7時(日本時間同午後11時半)過ぎの得票率はカルザイ氏が71.0%と2位以下に大差をつけており、同時点での開票率は4.2%だが既に同氏の当選は確実と見られている。  
この大統領選を国家再建の一つのゴールとする見方もあるようだが、その過程には不透明な部分も多い。二十年以上に及ぶ内戦で国土が荒廃したアフガンでは戸籍が整備されていないため国民はIDカードや住民票を所持しておらず、調査の結果およそ300万人分もの重複登録が判明した。また、カルザイ氏の選挙活動が大統領の立場を利用したものであるとした非難や、投票所における二重投票防止策の確実性に対する疑問の声も挙げられ、一時開票が見合わせられる事態にまで発展した。一方で選挙そのものに対する情報不足や理解不足も目立ち、国外で有権者登録した者は国内では投票出来ない(その逆のケースも含む)ということを知らされずに結局投票出来なかった者、有権者登録受付の締め切りを知らされずに登録すら出来なかった者、さらに国内避難民に至っては選挙の説明すら受けていない者までもが存在する事態となった。選挙実施に携わったスタッフも含め、徹底されなければならなったはずの教育活動や啓発活動がおざなりにされてしまった結果である。また保守的な地域では、ジルガ(部族会議)によって決められた候補者に一族全員で投票することや、夫が妻に有権者登録や投票を禁止することを公言してはばからない人々もいた。以上のことから投票が本当に選挙を理解した上でのものか、また個人の自由意志で行われたものかに関して疑問が残る結果になったと言える。アフガン国民にとって初めての経験である選挙を、その意義や仕組みの浸透もままならない内に実施したこと、いわば"強行"したことを問題視する声は多い。  
一方、復興を進める上で治安の確保は不可欠とされているが、国内の実態は暫定政権が統治権を未だ確立出来ていないという状況だ。首都カブール以外の地域では地方軍閥などによる武力衝突が発生し、多くの難民・国内避難民の原因にもなっている。国家統一を促進するためにも軍閥兵士の「武装解除、動員解除、社会復帰(DDR)」が早急の課題とされているが、その目標達成率は未だ低い水準に留まる。  国際社会の支援を受け、復興への道を歩み出したアフガン。今回の大統領選実施の過程には、その「公平さ」と「自由意志」に対し疑問を投げ掛ける声が存在するのも確かではあるが、それでも復興途上の様々な問題を抱えた同国にとって、国民の意思を反映する初の直接普通選挙を経験したことの意味は大きい。民主化、そして和平へ向けた政治プロセスは、まだ始まったばかりだ。
《参考》
川崎けい子「消えゆく水と緑 砂漠化するアフガニスタン」『週間金曜日』(2004年9月3日、No.522号)
毎日新聞東京朝刊「国をつくる:アフガン大統領選 置き去りの避難民、有権者登録にためらい」(2004年10月7日)
外務省HP「アフガニスタン概況」http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/afghanistan/index.html
産経新聞「アフガン大統領選 有権者300万人重複登録 正当性に疑問も」(2004年9月25日) http://news.goo.ne.jp/news/sankei/kokusai/20040925/KOKU-0925-02-02-49.html
日本国際ボランティアセンター「アフガニスタン大統領選挙関連速報」 http://www.jca.apc.org/~kikuf/jvcphp/jvcphp_epdisp.php?ThreadName=a01&ArticleNo=12

 

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