this stone


Nikkawa River

 

すきとおった川の流れは、見ている者まで透明にする。
このたえまない川の流れ。
数え切れない石。

それが何か特殊だと言いたいのではない。
流れゆく川の水は遠い昔からそのようであったし
あまたある石もまた
あたまたる石としてそこにある。

その中から私が取り出すただの一瞬、
ただのひとつかみ。
それが私との関係でまさに「この」としか言いようのない
関係に置かれること。
(むろんそれも何か特殊なことだと言うわけではなく)
その不思議。

それは
私が私であるという不思議と
同型の不思議であるだろう。

私はありふれている。
しかし私は「この」私でしかありえない。
そのことの不思議。
世界が「こう」あって
「ああ」でないことの
そして世界がそもそも「ある」ということの
言いようのない不思議。
眩惑。

 

それはだから
「何であるのか」という問いによっては
解消されない。
満たされることがない。
むろんだからといってそれを「何でないのか」
などという風にすりかえればよい
というようなことが言いたいのでもない。

それは思うに
この石が
「この」石にかわる瞬間にかかわることで
私がいつしか「この」私になったときの
私はなぜ私であって
私以外の人間ではないのかと思ったときの
あの奇妙な
しかし根源的なとしか言いようのない気分のことで
だからといってしかし私は
「この」私がかけがいのない
世界そのものだなどと言いたいのではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「波紋」 石、川 2003

 

 

たとえばそれをこんな風に言ってみたらどうだろう。
「個性的」というのは全然個性的ではない。
その言葉によってひとはそれが「何であるか」を
知ることができる。

しかし「この」私という状況を
ひとは言葉にすることができない。
それはまったくわけのわからないもので
理解することも
共有することもできはしない。
ということはそもそも「存在」すらしない。

まるで地獄のようなひとりごとの円環。

 

 

 

 


この辺りから広瀬川と呼ばれる川に。

 

 

 

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