願うこと

たなばたのためのプロジェクト

Tanabata Project
2003


展示までに考えたこと

6/1 sun

 雨のちくもり。
 仙台のアーケード街のひとつである一番町の一角に、とても風情ある場所がある。それはいろは横丁 や文化横丁と呼ばれる狭い路地で、昔からある飲み屋やお店に加え、近年はおしゃれなお店もぞくぞくオープンし、レトロで猥雑、リアルでフィクショナルな、一種独特の雰囲気をかもしだしている。
 8月6〜8日に行われる東北三大まつりのひとつ、仙台七夕のおり、この路地で「ロジアート」 なる企画が行われ、私も出品しようと案を練っているところ。先週の土曜日に説明会があったのだが、私は土曜はめずらしく一日仕事なので、資料を送ってもらうようにしたところ、昨日届いた。それをもとに、路地裏を歩く。
 もともとこの界隈は私のやっている塾 のすぐ近くで、私が好んでコーヒー豆を買いに行く自家焙煎の店「デ・スティル・コーヒー」 や、別にそんなに好きな雰囲気でもないのになぜか入ってしまう喫茶「エビアン」、妻の知り合いの店「遇太郎」 など、なじみの場所ではある。
 企画では、展示させてくれるお店を自分で見つけ、交渉し、期間中に展示する、というもので、ひとり(1グループ)一件が原則だという。
 私にはすでに別口で、アタマの中では進んでいたアイデアがあって、それは上にあげた「デ・スティル・コーヒー」という存在を物語化するものだった。つまり、そのコーヒー豆販売店の焙煎所は、私がよく石を拾いに行く広瀬川上流、新川の地にある。そこで毎日焙煎された豆は、川とともにくだり、仙台の街へとやってくる。広瀬川といえば、仙台の代名詞とも言うべき美しい川だ。そしてこれに七夕という物語が加われば、天の川、願い、運ぶ、伝える等々、容易に物語を生み出すことは可能だろう。
 しかし狭い路地に立ち並ぶ小さな店の並びをながめていて、私はふと思いつく。仙台七夕は、七夕かざりがアーケード街にえんえんと飾られ、それを観客が歩いて見てまわるものであり、今ひとつまつり特有の活気に欠けるところから、たとえば「静的」といった評価をされたりする。そこで「動く七夕」とか言って、トラックに七夕かざりをのせたものを移動させたりという苦肉の策がひねりだされたりするわけだが、物語の語りようによっては、見る者がひとつの流れ(天の川)となって、まつりそのものを演出する装置となっている、と詩的な評価をすることもできよう。つまり、このまつりの眼目は、「静的」な七夕かざり(織姫・彦星、仙台という街、デ・スティル・コーヒーという点)をめぐる「動的」な視線の移動(天の「川」、時間=一年間、星々の発する光の移動、広瀬川、焙煎されたコーヒー豆)にあり、それゆえに何かを展示するとすれば、七夕かざりがアーケード街に沿ってえんえんとつづくように、路地裏に沿って切れ目なくつづいていかねばならない、つまり視線の移動をうながすようなものでなくてはならないように思える。ひとり一店舗、という限定がネックになる。
 私が思いついたのは、路地に沿って点々とつるされたり、置かれたり、はりつけられたりする展示、たとえば下のようなものである。どうだろう。

 

 それは、その成り立ちからしてとても詩的なものになるだろう。たとえばつくっている枕木やレンガ(器用仕事日記5/23の項)が、モノから立ち上がるものをとらえたい、というところからはじまっているのとは対照的に。


6/2 mon

 中学か、それくらいのとき、NHKで国語の授業をやっていて、学校の先生ではない人の授業が聴きたかったので聴いてみたのだが、その日は言葉と物についてがテーマだった。ラジオの向こうで先生は、「ではものの名前をいっさいアタマの中から消し去って、あたりのものを眺めてください」と言って1分間ほど消えた。「どうです? ものの名前がないとき、つまりそれらを「それ」とすら言うことができないとき、私たちはそれとの間で、何とも不思議な関係に置かれるのです」とか何とか説明がつづき、私はそのとき先生が語ったとっても的を得た表現でその状況を説明することは今でもできないのだが、とにかくとても感銘を受け、ときどきそれをやってみたり、ときには友だちや、大きくなってこどもに教えるようになってからは生徒にも、同じことをさせてみた。しかしおそらく私の説明が悪いのだろう、ほとんどの人は私の言うことをわかってはくれず、しかしときおりこれと同じようなちがう表現を読むと、ああこれだ、と思い当たったりしてきた。
 私たちは言葉を話す。あやつる、という表現の方が言いえて妙というものだろうか。むろんこれは人間が他の生きものよりも優れているという物語の根拠にもなったりするのだが、そうしたばかばかしい話は別にして、とりあえず、私たちは、私たちが言うところの言葉を話し、ときには「その中に生きている(住まう)」とすら言う(あたかもその外には荒野しかないかのように)。この表現は実に魅力的だ。たとえば私はときおり、「言葉が言葉をつむぎだす」といった感覚に、みずからうち震えるときがある。つまり私の語る言葉が、いわば私を超えて何かを生み出すのだ。そうしたときには、私はこの言葉を、大地や空のように感じたり、あたたかで安らげる家のように思えることがある。
 しかし一方で、例のラジオの先生が仕向けたように、私の頭から言葉を消し去ったような状態、つまり「もの」が言葉を介さずに私の中にのりこんでくることがある。どういったらいいだろう。カンディンスキー(それともクレー?)があるときモネの積み藁の絵を見て、それが「何なのか」をまったくわからずに感動した、という話を聞いたことがある。むろんある人から言わせれば、それはフランスの豊かさというモチーフであり、日のうつろいであり、何とか分割によるこれまでにはない光の芸術で、という物語があるわけだが、そしてもちろんそうした説得力ある物語を私は否定したいと言うのではないのだが、それそのものが発する否応なき存在のオーラのようなもの、そうしたものは、言葉を頭から消し去ったところでどうということはない。むしろその方がよく鑑賞できるくらいではないかと思う(そしてそれは人間以外の動物がそれぞれ比喩的な意味での「言葉」を「あやつる」のとつながっているし、私はそれが容易に想像できる)。
 私はこれらのいずれからも強い感動を受けるし、さらにもっと多くの感覚器官や受動装置を活性化できないかと思っている(たとえばにおいや、文字をもたない言語、その逆など)。


6/3 tue

 広瀬川上流、新川へ。「デ・スティル・コーヒー」の焙煎所を訪ねる。いつも石を拾いに行く場所よりも少し上流の、かなり閑静なところにあって、とても素晴らしい河原のそばにあった。近づくにつれ、コーヒーを焙煎する香りが強まっていく。
 焙煎をしている社長さんに出会い、「ロジアート」の説明をはじめたのだが、私の企画もたいして固まっているわけではないので、実におぼつかない説明になったのだが、それより何より、気がついてみると自分が何者かも明かさずに話をしている。平日の昼間、すごく汚いかっこうの見も知らぬ人の話を聞く、それも仕事中、というのはとてもたいへんなことにちがいない。以前、ここのコーヒーをたのんでいる喫茶店で個展をしたことがあるので(そのおりのようす)、運良く私の名前を知っていてくださり、少し場がなごむ(あの共通のものを「知っている」というときのほっとする感じ)。
 とりあえずどんな場所で焙煎しているのか、ずっと行ってみたかったのでとてもよかった。また石を拾う場所がふえた。
 七夕の企画は、やはり店の中に展示するのはあまりおもしろいとは思えない。その店に関係するもの、たとえばコーヒー店ならコーヒー豆を、靴屋なら靴紐を、洋服店ならボタンを、という風に何かひとつ出してもらい、それに私が言葉をつけて店の外、通りの流れの中にそっと展示する、というのがいいように思う。どうだろう。


6/4 wed

  「ロジアート」のための取材に、展示予定場所である仙台は一番町サンモール商店街界隈へ。夕方から塾なのでどうせまた来るのだが、なるべく人気のないお昼すぎをねらって。試作した展示物をためしにいろいろなところにはりつけたりして具合をみる。
 最後に、一昨日焙煎所を訪ねたデ・スティル・コーヒーの店舗に立ち寄り、店の中やドアに展示した具合を確かめたり、入って来たお客さんの反応をみたりする(ちなみにここのスタッフはすばらしい絵を描く。こちら)。
 家に帰り、思ったことをまとめて実行委員会へと送る。最近、絵を描くよりもこういうことをしている時間の方が格段に多い。あまりスケッチにあししげく出かけなくなった私に対し、スケッチはいいのかと訪ねる妻に、先日、私がやっていることは実は現代アートなのだと言うと、ひどく驚いていた。
 しかしそれは正確ではないかもしれない。たとえば今こうしてロジアートに出そうとしているものは、かたちとしてはかつてコンセプチュアル・アートと呼ばれたものに似ているけれども、アートそのものを問うものでもなければ、われわれの認識そのものをぐらつかせようというものでもない。まるでその逆だ。私はそれがいわゆる視覚的なアートというよりは、詩の領域に近いものだと思う。いや、詩そのもの、純然たる詩、単なる詩、もっと言えば詩になれなかった文章に過ぎないような気がしてくる。
 ジャンル分けをしたいのではない。そうではなくて、たとえば、ものに語らせようという視覚的なアートに取り組む人の中に、まったく畑ちがいの詩人が紛れ込んで、ほかの人にそれと知られずに詩をよんでみたら、文章そのものをほめられた、みたいな状況を想定しよう。しかし詩人の中では彼のやっていることは特にたいしたことではないのだ。


6/5 thu

  「ロジアート」について考えながら、その発端になった物語について思う。私がよくを拾いに行く広瀬川上流の新川には、デ・スティル・コーヒーというコーヒー豆店の焙煎所があって、川の流れと同じように、そして私が拾った石と同じように、焙煎された豆は毎日、下流にある仙台の街へと運ばれていく…というイメージで、それは私が何かをする理由にはなれ、同じようにしてひとが私のつくったものを理解する手がかりにはならないだろう。それはいわば「私的言語」とでもいうべきもので、それを私は「無い」とは言うつもりはないし、文字通り私的な意味以上の意味をもたないという点では無意味である、という意見に賛成する。つまりそれを語られた他者にとっては、端的に言ってわかりにくいし、第一つまらない。そうした意味で、私はいったんこの私的な物語を封印し、「流れ」「願い」といった中でこの話をつむいでいこうと思う。

 ところで、「願う」ということは、認識のあり方をずらすことにつながっている。何かを願うとき、そこにはすでに「こう」ある世界と、もしかしたら「こう」ではない世界とが、同時に想定されている。つまり、「〜とは〜である」というのではなく、「「〜とは〜である」ということになっているが、そうでないことを想像することができ、なおかつ私はそれを望んでいる」ということだ。

 「我思うゆえに我あり」を表層的に援用するなら、「我願うゆえに我あり」ということができるだろう。そしてそれは「我思う」を根拠に都合よく大量生産されていく独我論的世界を拡大再生産していくことに過ぎない。
 これに対し、この言いは「我思いつつ我あり」と言っているに過ぎない、というかまえをとるならば、願いに関しても「我願いつつ我あり」と言うことができるだろう。しかしいずれにせよ、これらはやはり独我論的である。
 私が思うこと、私が願うこと、それが他者との間に投げ出されることが必要なのだと思う。投げ出されたその瞬間、「私」にしかわからない私的な物語や世界が消えうせ、そこに存在が姿を現す。共同主観的な世界について語っているのではない。それが受け入れられる/受け入れられないにかかわらず、そうなのだと言いたい。少なくとも今の私には、そのように思える。

 「ホスピタリティ」。


6/6 fri

 仙台七夕のわかりにくさのひとつに、その日程が上げられる。七夕は全国的に7月7日なのだが、仙台七夕は8月の6〜8日にかけて行われる。旧暦っぽくしているのか、夏休み中の人出をあてこんでいるのか、東北三大まつりをまとめて見られるようにしているのか、とりあえずいろいろいいことがあるのだろう。
 しかしたとえば私が、今考えている仙台七夕の時期のプロジェクト(こちら)を、地域に限定せず、知り合いのところや、ウェブ上でも行えないだろうか、と思うとき、七夕が8月というのは他の地域のひとにとって、とってもわかりにくいように思う。そこで思ったのだが、仙台七夕の前、7月7日の七夕の日に、この「たなばたプロジェクト(仮題)」(ハガキ大のビニール袋に石や葉や何かを入れて、願いを直接的に表現したものでない文章を書いた紙とともに入れてかざるもの。内容はロジアートに出すものと同じ)を、知り合いやウェブ上で参加していただける方にやってもらい、その写真や文章をこのサイトで公開したり、その後行われる仙台七夕のおりに、その一部を成果として取り入れたりしてはどうかと思う。
 このアートというよりは詩のようなプロジェクトは、その場所と人にほとんどを拠っており、必要なものといったらハガキ大のビニールと、やったという報告くらいのものだ。中に入れるものが決まったら、参加してくれる方と文章を決め、私の方からビニールと印刷された紙のセットを送ろう(これすらもその場にある適当なものを利用してもらってもいいし、文章だってプリントアウトしてもらうだけでいいのかもしれない)。あとは中身を入れてかざってもらうだけだ。
 そして問題は、それがおもしろいかどうか。

 これまでずっと私は、「私」のうちで完結している(ように見える)ものをつくろうと思ってやってきたと思う。たとえば絵画はそういうものだろう。それは確かに、題材であるとか、見てもらうとかいう点で、他者の介在を許すものではあるけれど、いやならいやでOK、はいおしまい、という、ある意味では厳しさが、またある意味では気楽さがあるように思う。気楽さというのは、気乗りしない「他者」を巻き込む必要や心配がないということで、その絵を描くことが私にとってどうして必要なのか、どうしてそれをおもしろいと思うのかを「他者」に対して説得する必要は、原理的にないということ。すべての根拠が「私がそう感じるから」という独我論的な世界の中で処理され、わからない人を「わからない人」にしてしまい、結局は「私」を共有する世界で生きる快適さ、都合のよさを、孤高と取り違えてしまうこと。理解してもらうことは、相手や自分のうちにある「他者性」を葬り去り、「みんな同じ人間なのだ」というまやかしへと進む道ではなく、「わからなさ」という棘を抱いたまま、ともにそこにいることだろう。
 そうした意味で、私は「これが本当に意味のあることなのか」というたぐいの自問をさけてきたのだと思う(むろん私がここで言いたいのは、有意味/無意味という区分けについてではない)。これは私にとって、そうした意味でとてもいい機会だと思う。


6/7 sat

 『OFF DAY』というフリーペーパーを読んでいると、たまたま今度七夕のおりに行われるロジアートの会場である仙台はサンモール一番町商店街の理事長伊勢文雄氏の談話が載っていてた。七夕とはまったく関係のない文脈だったのだが、「都市」の「都」を文化、「市」を商いと解し、現状が「市」に偏っていること、「都」「市」いずれもが発展することで、住みがいのある街づくりをしていきたいという内容のもので、そこにあげられている「都・市」あるいは「都-市」、「都/市」という物語にとてもひかれた。
 透明で、なんの変哲もないビニールの袋に入れて、その店、その場所に関連のある物と文章とを展示する、という企画を考えているのだが、それはまさに商いの対象である商品と、それを「文化化」するコードとしての言葉との同居と言えるのではないだろうか。そして逆に、言葉はものと出会うことで、そこから生命を受け取るだろう。
 しかもそれはまさに都市というものが強力にもつ、ある部分は取りかえ可能で、ある部分は取りかえ不能な、そしてその境界線は線ではなく、色の帯のような、たとえば虹における隣あわせの色のような関係として示されるような、「入れ物」としての空間。
 それは私が石とその絵によって取り組もうとしていることにもつながるものなのだが、たとえばひとつのボタンやパスタは、多くのボタンやパスタのひとつであるけれども、今ここにこうしてあるそれは、まさに「この」それでしかありえない。つまり私がたとえばある懇意にしているスパゲティ店に出向き、そこのパスタと私の文章とをひとつの袋に同居させたいというとき、それは毎日売買され、ゆであげられ、消費していくたくさんあるほかのパスタを表象しつつ、しかし「この」パスタであるとともに、しかし一方では私がどこかで適当に買って来たものであっても、ある意味「いっこうに構わない」と言いたくなる。何かと何かが等価値であると仮定されるだけでなく、それが仮定に過ぎないことをどこかで忘れ、押し流され、それを自ら流れている、と感じたくなるような感覚。
 私はいろいろな人、いろいろな場所と共同でそうしたひとつの袋をつくりあげ、今度はそれを無限にコピーすることができる。それらを小さな箱にでも入れ、所有し、保存し、運搬し、管理し、付け足していくこともできる。あるいはそのように思い込むことができる。そしてそれを何か都市的なライフ・スタイルなどと呼んでしまうこともできるだろう。

 夜、よく行く店「トルバドゥール」でうまいスパゲティを食べながら、七夕の企画のことを話す。参加してもらえることになる。ロジアートの会場区域ではではないのだが、私はこの企画を進めながら、私にとっての生活圏内、共同体内部、つまり私の私的言語が通じる場所と、そうでない部分とで企画を行いたいと思いはじめている。
 たとえばこのスパゲティ店は、私がすでに10年以上も前から通っている店で、しかしマスターと特に親密なわけでもなく、適当な距離をおきつつ、静かに通い続けてきた場所で、今回ほとんどはじめて長い言葉をかわしたようなものだ。だから私とマスターとの間に具体的な共通の言語はない。そして彼は私の企画(言葉)は「わからない」と率直に言う。しかしそれでも私のことは「わかる」と言い、やってくれて構わないと言う。このふたつの同じ言葉の自覚的な使用(そしてそれは、われわれが日々生活の中で何ということなく、力強く行っていることだろう)。


6/8 sun

 これまで「七夕のおりに行う企画」とか「ロジアートに出すもの」と呼んできたこの企画だが、呼び名が決まらないとめんどうなので、とりあえず「たなばたプロジェクト Tanabata Project(仮称)」と呼ぶことにする。まったくぱっとしないネーミングだ。
 しかしこの「仮称」とか「仮題」「仮名」というのは、とりあえずの暫定的なものでありながら、使っているうちにいつしかなじんで、もうこれでいい、いやもうこれしかない、という具合になったりするのが不思議である。たとえばこのサイトのタイトル「すこし思いついたことを」は、あまりにもぱっとしないので口にすることはおろか、文字にするのもおこがましい気がしたものだが、1週間を過ぎ、もうこれでいい、「(仮題)」というのとろう、という気になってきている。つまりなじんできている。思うにそれは「〜とは何か」「なぜ〜なのか」的な世界とは無縁のような話だが、原因/結果という円環から遠ざかるならば、行き着くところは同じように思える。

 と、いうことで、私はこの「たなばたプロジェクト(仮称)」をふたつのパートにわけ、第一弾として全国の七夕である7/7に、第二弾として仙台七夕開催時の「ロジアート」への参加作品として提示したいと思う。もし参加してくださる方は、こちらから。どうなるかまったくわかりませんが、どうぞよろしくお願いします。


6/9 mon

 現在進行中の企画に関して、三上紘司氏に書き込んでいただいた掲示板の言葉、

 「流れ」とは天の決めること。
 「願い」とは人の決めること。
 願いがかなうかどうかは天の采配。

は、読んだ当初あまりその意味がわからなかったのだが、実際に取り組んでいく中で、だんだんとその真価が理解できてくる。
 この「願い/流れ」「人/天」という対立軸を、他の対立軸、「ことば/もの」「都(文化)/市(商い」を通して見ていき、これらを実際の展示地点へと投射していくと、場所がどのような展示を要請しているかがわかってくる。
 たとえばお店とからめて展示していくものは、三上氏の言葉でいうなら、「人の決めること」であろう。そこでとりあげられる文章は、おのずと人間の営みの中から浮かんでくるもの、そこに生きるわれわれの喜怒哀楽がうたわれることになろう。
 逆にお店とはかかわりのない場所、たとえば共有のスペースである横丁の水場や通路、アーケード街の柱や並木は、「天の決めること」、われわれの意図をこえたことがらがうたわれる。
 「対立」と言い、それぞれの場所を「分ける」ようなことを言っているが、それは両者を対立させることや、分割したり分類したりすることを主眼としているのではない。それらは重なり合い、響き合いながら、ひとつのうねりとしてその場を包み込んでいる。だからそれは「采配」なのだ。


6/10 tue

 「わからない」にはふたとおり、というか二段階あると思う。それが何だかわからない、というのと、それにどんな意味があるのかわからない、ということ。「AはBである」ということがわかったとして、しかしそれにどんな意味があるのかわからない、ということはよくある話だし、その「わからなさ」は手ざわりがちがう。
 ところで、芸術や哲学はわかりにくい、ということが言われる。私は長い間、これは「わからなさ」で言えば先に上げたもののうちの前者、つまりそれが何であるかわからない、というたぐいのわからなさのことを指しているのだと思ってきた。そして私なりにそれと取り組んでいるつもりである。しかし後者、それがわかったとしてどんな意味があるのかとか、あるいはもっと端的に言えば何の役にたつのか、といった問いについては、それは自分の考えることではないとように思えて、正直真剣に考えたことがない。というより、そんなことわかるわけないだろう、というのが私の本音だ。どうしてもそこをわかりたい、という人にはテキトーな話をでっちあげてわかったつもりになってもらうしかないように思う。たぶんそれを私はこれまで「物語」と呼んで嫌悪してきたのだ。
 ところで、この「わからなさ」という点について、「わからない」と判定を下す側ではなく、「わからない」とされた側にそくしてこれをながめてみたい。おそらく「わからない」と判定を下す側からすれば、「わからなさ」を提出する者自体は、自分のその「わからなさ」について、「わかっている」と想定しているのではないだろうか。ただしその者は自分にしかわからない言語(私的言語)を話しているので、「われわれ」にはわからないのだ、というぐあいに。
 しかし私はこれは大きな見当ちがいであると思う。「私的言語」はありえない。その人にしかわからないものは禁止されるべきだ、とかいった次元でそれが否定されるのではなく、それはただ単純にありえない。そうではなくて、もしある者が、他の人たちにわからないことを伝えようとしているとき、それは当人にとっても同様にわからないもの、つまり伝えるのが最初から不可能なものをつかんでいるかもしれないのだ。それを私はここで言いたい。
 そしてもっと言うなら、そのような「わからなさ」を根拠に、それが「無意味」であるとまで言うことの傲慢さや不誠実さ。逆に言うならば、わかりやすく、すでにはじまりからして終わりの予想できる予定調和的な世界(つまり私から言わせればそれこそやってもやらなくても結果がわかっているという意味で「無意味」なこと)に「意味」を見出してしまうおろかしさや卑小さ。そういうものに出会うと、どうして自分の想像の及ばない世界が、誰もまだ気づかないことが、この世界にはあるかもしれないと思ってみることもしないのだろうとがっかりしてしまう。
 私の人生は本当にいつも風に吹かれる雲のようで、いったいこの先どうなるかなんて予想もつかない。ものすごく一生懸命やっていることも、何でやっているのかなんて自分では想像もできない。でもやっているし、何よりやりたい。そんなことがわんさかある。人間は世界の複雑さに対して、あまりに愚か過ぎるから、わからないことを偶然と呼ぶのだ、とまで言う気はないけれども、わからない未来を、わからないものを、そのわからなさゆえに、歓待したい。


6/12 thu

 最近、書類をつくったりメールを送ったり、電話で依頼したり、飛び込みで交渉したりと、まるでこれまでとちがう人生を送っているような気がする。というより、私はそうしたことをサボっていたのだろう。

 「たなばたプロジェクト(仮称)」は二部構成である。まず7月7日の七夕に、私の知り合いとともにこれを行い、次に8月の仙台七夕のおりに、このプロジェクトがなければ直接知り合うこともなかったであろう商店街の方たちと。
 第一弾 に参加してくれないかと友人やお世話になった方にメールや電話をしながら、私は知らず知らずに自分を外側からなぞっているような気分になる。中学や高校、大学時代の友人、会社の同期、塾で教えた生徒、絵を描きはじめて知り合った人たちや、ネットでできた友人。
 第一弾がこれまでの私をかたちづけるものであるなら、第二弾はまだ見ぬ領域、とでも言うべきだろうか。「私」というものでつながるのでなく、「アート」の名でつながる関係。


6/13 fri

 「ロジアート」の交流会に出席する。もう来週中くらいには企画の全容を報告しなくてはならないのだが、これまで考えていたよりもずっと自由度が高いようで、これも、当初アーケード街にさりげなく7枚くらい(七夕7/7にちなんで)を想定していたのだが、たくさんはる方向で考えはじめる。
 たとえば、仙台、宮城を表わすような7種類の「もの」を袋に入れ、これを11カ国語に訳せば77種類の袋ができあがる。各種類について2,3個ずつ作れば、全部飾らないにせよ100〜200程度になるだろう。
 ただ私が避けたいのは、それがまるで「広告」か何かのように声高になってしまうことだ。ささやくようなその存在を見つけたときの、「あれ、これなんだろう」とか、「気づかなかったけどこんなところに」という気分を始点(支点)としているのだから。


6/14 sat

 たなばたのためのプロジェクト、「ロジアート」について。仙台や宮城県を象徴するものとして、6つのものを考える。すなわち、木の実、石、木の葉、貝、砂、米である。
 木の実は山を表わしている。私がよく絵を描きに出かける山。蔵王をはじめとする奥羽山脈の山々。
 石は川。私が絵に描く石を拾いに行く河原の石。広瀬川は仙台の代名詞とも言うべき川であり、名取川は歌枕として古来から名高い。
 木の葉は街。けやき並木は仙台を象徴する。
 貝と砂は海。日本三景の松島は言うまでもなく、三陸の美しい入り江、島、海。
 米は野。米どころとしての大地の豊かさを表わしている。
 七夕の七にちなんで、7つ見つけようと思ったのだが、なかなか見つからない。そのうちにそれが七夕そのもの、そして七夕に訪れる人のものであることに気づく。だからそれは6つでいい。


6/15 sun

 たなばたのためのプロジェクトは、タイトルを「願うこと」にする。これもあまりピンとはこないのだが、もうタイトルをつけないといけないのでこれにする。
 願うこと。それは私が意識的にそうするのだろうか、それとも自然とそうなってしまうのを意識するのだろうか。 いずれにせよそれをとめることは(私を含め)誰にもできない。そうした意味で、それはとてもアートに似ている。というより、それがアートの原型なのかもしれない。


6/17 tue

 「ロジアート」の、アーケード通りに展示する内容がほぼ固まり、実際に通りにはって様子を見るため、試作品をつくる。
 「木の実」のサンプルとしてどんぐりを拾いにアトリエの裏の山へ行く。去年、銀座での個展の前にも集めたのを思い出す。どんぐりの季節でもないので、去年のどんぐりの帽子を主に集める。こうして去年のどんぐり集めの円環が閉じていくような気分になる。
 夕方、アーケード街に試作品をはって様子を見る(そのときの様子はこちら)。思っていたよりもいいような気がする。通りがかった人から「それは何か」と質問されるので、宣伝もしておく。何通りかの展示をためして写真におさめる。


6/18 wed

 晴れたので海に砂を取りに行く。「ロジアート」の展示のためのもので、展示までに間に合えばもっと遠く、たとえば去年よくスケッチに通った三陸にある大谷海岸(日本で一番駅に近い砂浜。本当に駅の目の前に砂浜がある)あたりの砂を取って来ようと思っているのだが、とりあえず松島を少し行ったところにある野蒜の砂を取って来る。松島からこの辺りにかけては以前ずいぶん通ってスケッチしたのだが、最近はもっぱらアトリエだったので潮風にあたるのは久しぶりだ。

 たなばたのプロジェクトでは、私は限りなくないものである。ほとんどが借りものかいただきもので、新しくつくるものはいっさいない。私は何ひとつ創らず、ただお願いするだけだ。
 しかしここには何か誤解があるのかもしれない。そもそも私が何かを「創る」ことなどあるのだろうか。
 むろん、日常生活の言語として、何かを「創造」したり、「新しく」創り出したりという使い方は多々見かけるし、それが何を意味しているのかを私は知っている。
 しかしたとえばある有名な建築家が、もうあらゆる様式は出尽くしてしまい、残っているのはそれらを組み合わせることだけだ、といった内容のことを口にするとき、それはそういった日常言語的な使い方を指しているのではあるまい。そう解釈しなければ、ただショッキングなことを断定的に語る、もの知り顔の人間にしか思えない。
 私には、何か「新しいもの」をつくり出すとか、これまでになかった何かを生み出すといったことが、個人的な作業であるとは思えない。それはいわばそう「なる」のではないかと思う。そこにあるのは個人的な営みをこえたもので、それはいわばそうした個人個人の視線をずらす作業なのだ。だからもう新しいことなどないし、まだ新しいことはたくさんある。
 しかしこう書いたからといって、私が個人的な世界や営みよりも、集団的なものを重視しているなどとは思わないでほしい。そんなことはひとつも言っていない。もっとも個人的な世界や営みは、他人には理解できないと私は言いたいのだ。それゆえにそれは「新しいもの」とか「独自の視点」などにはなりえない。というか、そういう次元とはちがう次元のものだと思う。
 そしてもっとも個人的なものが他人と共有できないからといって、個人は集団をつくれないわけではない。当然のことながら、事態はその逆である。共有できないものがあっても、あるいはあるからこそ、そうなのだ。  


6/19 thu

 たなばたのためのプロジェクト、第一弾「七月七日に」は、私の知人・友人に協力してもらって作品を作るというものなのだが、うちの猫にも協力してもらうことにする。つまり、彼らの特に好きなキャットフード(キャラットあたりだろうか)を袋に入れて、人間なら「もの」のほかに文章も入れるところを、ただの白紙を入れておく。これは別にふざけているわけではない。
 たとえば誰かが何かを描いたとして、それが具象画であっても抽象であっても、「これは何か」「なぜ描いたのか」「何が描きたかったのか」はあとづけでしかない、と思いがちである。まるで画家は言語のかなた、言語化される以前の地平からそれらを呼び込み、それを映像化し、それからはじめて言語化される、という手続きがあるかのように。逆にコンセプチュアルなアートはそれをそういうものとしてとらえようと、そのプロセスを輪切りにでもしているかのようだ。しかし、どうなのだろう。
 私は、「人間は言葉を話す動物である」という文は間違っていないと思うが、しかしその中に最初から含まれるある種の姿勢には批判的であるべきだと思う。もしそれを口にするなら、それは字句どおり語られなければならない(ということは、それを口にすることに意味がなくなるということなのだが)。つまり、それによって人間が他の動物よりも優れているとか、逆に劣っているとかいう根拠としてそれが語られることには反対である。
 われわれは、ただ単に言語を話す。というより、言語によって、言語の中に生きざるを得ない。それはただそうなのであって、それ以前も、それ以後もない。むろん、比喩的にそれらを語りたく思うし、そうした世界を想像することは楽しい。しかし、どうなのだろう。それは言ってみれば、「人間が空を飛べたら」とか、「思うだけで一瞬にして誰かのもとに行けたら」といったたぐいのものだろう。そうしたことを根拠にいったい何が語れるだろう。


6/21 sat

 仙台七夕のおりに開かれるロジアートで、私の企画を店先に展示してくれる店舗をさがしているのだが、すでに6,7店舗の協力を得ているし、アーケードの支柱とか並木といった公共空間にたくさん展示しようと思いはじめたりで、おそらく私の中にあまり熱心さが感じられないのだろう。今日は4件くらい回ったが、ほとんどの店で断られてしまった。私はおんなじことを何回も言うのが大嫌いな上に、同じ説明を聞くのはもっと嫌いで、それは自分がする説明についても同じである。しかしきっとこうしてまったくの他人で、アートにも私にも何の関心もない人に自分のアートの説明をしていくのが大切なのだろう。などとまとめてはならないような気がする。


6/23 mon

 「ロジアート」に出す展示の文章とその英訳ができあがる。友人に翻訳してもらった。翻訳された文章を見て、私はとても不思議な気分になる。翻訳というのは、考えてみれば本当に不思議なものだ。それは生の批評とでもいうようなものを含んでいるように思う。乾いたのでなく。
 また、七月七日に行う企画に参加いただいている方々からあがってくる文章を読んでも、同じように不思議な気分になる。
 それはアートを見るときに感じる感動というよりは、アンサンブルのようなわくわくする感じではないだろうか。私はほとんど楽器を弾けないから、そのわくわくを想像するしかないが、たとえば妻は、絶対ソロでは演奏したくないと言う。ひととあわせなければつまらない。そしてそれはひとりですべてを完結することになっているかのように見えている絵画の世界では、何語ともつかない外国語だろう。


6/24 tue

 すべての翻訳は誤訳だ、とある有名な翻訳家が言っているのを読んだことがあるが、これはネガティヴな意味でのみ語られているわけではないだろう。今日は「ロジアート」に出す文章のドイツ語訳とフランス語訳をたのんだのできたのだが、こんなに短い文にもずいぶんいろいろな解釈を読み込めるものだと感心する。たとえば同じ言語でも何人かの人にたのむと、(読むほうにとっては)とてもおもしろいものができるかもしれない。あるいは私の作った日本語を別の言語に訳し、訳されたものからまた別の言語に…とつづけて、最後にまた日本語に戻したらどうなるのだろう。
  「伝言ゲーム」というあそびがあるが、これはその言語を知らずとも可能である。別の意味でかなり難しいかもしれないが、翻訳とはまったく別の能力に属するものだ。通訳するのは、「意味」を基盤に、その様式を変換することで、たぶんなるべくもとの意味に忠実であることをめざすのだろうが、それはもとから不可能である。しかしその不可能性へ、つまり自分を限りなく無の存在にすることへのあこがれが、そこにはあるのではないだろうか。しかしそれは「伝言ゲーム」における「無私」とは別種のものであるだろう。
 私はふと絵画とその「物語」について思いあたる。何かをうつしとることと、それを表現することとの間にある、その一見小川のように見える境界。しかしたとえばカメラの眼にあこがれることも、「伝言ゲーム」のうちにはない。
 私の関心のすべてがそうしたもののうちにあって、それはいつも同じことのくりかえしだ。

 サンモール一番町商店街の理事の方たちと、ロジアート出品者の打ち合わせ。私の展示企画は特に問題なく了承される。


6/25 wed

 昨日書いた翻訳の話題のつづきで、ふと和歌や古文とその現代語訳について思い当たる。
 あるとき、俳句や和歌を詠んでみようと思い立ったのだが、そのときふと先人の詠んだものについている「現代語訳」を読んで、こっちの方ならすぐできそうだ、などと思ったものだ。そしてそれに血が流れ、肉がつけば、詠みたかったそれになるだろう、みたいに。
 ある俳人が自分の俳句の「意味」を外国人に語ったところ、わたしもそういうのなら子どもの頃につくったことがある、とか、そういうのたくさんつくる年頃ってあるのよね、とか言われてショックを受けた、という文章を読んだことがあるが、「俳句」というブランド、「言語」のないところでそれを語ることはそういうものだろう。
 それをたとえば「伝統」という言葉でカンタンに語ってしまうこともできるが、その内に立つのと外に立つのとでは、世界はまるきりちがうだろう。思うにそれは立つ、というより、立ちつづける、とでも言うべきもので、立ちつづけないこともできるのだ。つまりその言語ゲームの中にいながら、外からそれを見ることが、私には好ましいように思える。そんなことができるならば。


6/26 thu

 「翻訳」といえば、カバー曲というのも翻訳みたいなものだ。
 また、私が今考えているもののひとつは、ある原作を脚本化し、今度は脚本をもとにノベライズしたらどうなるのだろう、というもので、これも翻訳のひとつだろう。
 では絵画の翻訳、絵画への翻訳はどのように行われるのだろう。ひとつ考えてみる。


6/30 mon

 「願い」「願うこと」は、私の文脈では「祈り」に近いものかもしれない。それは私が思うに、「願い」が、何を願うのか、という内容に重きが置かれているのに対し、「祈り」が、祈るという行為そのものを主眼としている点にある。しかし七夕の願いごと、というのはどうだろう。それは天空のふたりが、一年というものその再会を願いつづけたその持続性みたいなものに対してわれわれが感動し、それをまねることなのだ。つまりそこにあるのはわれわれの生々しい願いごと、たのみごとではなく、何かを願う人をまねる行為、それと同一化することでそれを理解しようという試みなのではないだろうか(いちおう断っておくが、何かを願う生々しい行為、生への意気込みを私は決して否定しているのではない)。そういう意味で、私は願いそのものをえがくことよりも、願う行為自体を描写したいと思う。それが成功しているかどうかはともかくとして。私が言いたいのはそういうことなのだ。


2003/7/1 tue

 ウェールズ語の訳が届く(こちら)。
 翻訳は、ひとにしてもらうにせよ、本人にしてもらうにせよ、ひとがつまるところは「他者」どうしであることを明らかにする。それはひとの考えていることはわからない、という当たり前のことであるし、表に出されることで、ある程度までは理解できる、というこれまた当たり前のことでもあって、それはひとを陰鬱にもするし、喜ばせもする。
 だから思うに、そこで問題となっているのは、「正しく」伝わるかどうかということではないのだろう。どのように伝わるにせよ、それを受け入れる強度のようなものが問われているのであって、それはあまりに力のない私には、はかない偶然か何かに拠っているのではないかと思えてしまうのだ。


7/2 wed

 ポルトガル語の訳が届く(こちら)。例によって、私の大学の大先輩にして、ドイツ語、古典英語等に造詣の深い佐藤牧夫氏の労によるものだ。


7/4 fri

 日本各地で七夕飾りがはじまっているのをニュースなどで目にするが、仙台ではいわゆる仙台七夕は8月なので、まったくそれらしさがない。
 計画している たなばたのためのプロジェクト第一段階がとうとう来週の月曜、7月7日に行われる。全国各地(たぶんおひとりはフランス)でご協力願っている方々が、この日いっせいにこのプロジェクトを行ってくれる手はずである。
 今日、福岡に住む友人から連絡があったが、彼は自分の店先にちょうど七夕の笹を飾り、こどもの願いごとなどをつっているところなので、当日、そこに私のたのんだものもつるしてくれるそうだ。
 ところで私自身は7月7日には、仙台を流れる広瀬川を上流(奥新川あたり)から街中まで歩こうかと思っていたのだが、天気がかなり悪いようなので、どうしようかと思っている。この日に拾った石を、8月の仙台七夕のおりに行うロジアートに出してもいいかもしれない。


7/6 sun

 ふたつ目のオランダ語訳が届く。これはかなり意訳してくださったようで、特に「山になるのは無数の願い」の山は、枯れ野を想定し、枯れた山にあっても無数の願いは実る、というぐあいに解釈してくださったという。

 とうとう明日はたなばたプロジェクトの第一弾「七月七日に」が実行にうつされる日である。みなさん、忘れていないといいのだけれど。


7/8 tue

 ドイツ語訳が届き、アップする。訳してくださった佐藤先生は、ヨーロッパの叙事詩を研究してこられた方で、ホメロス、ウェルギリウス、ダンテ、シェイクスピアまでをすべて原典で読破され、今度はセルバンテスに挑むとのこと。齢70、視線はまだまだ先にある。


7/9 wed

 たなばたプロジェクトの第一弾が終わり、7月7日に飾ってもらった「もの」の実物や写真が届きはじめている。じょじょに公開していくつもり。
 おそらくは制作の過程で、うかんでは消えていった多くのものを、私たちは共有している。そしてそれは他のいかなることについても、同様だろう。


7/10 thu

 七夕に飾ってもらったものがだんだんに届いて(こちら)、想定していたものからは考えもしなかったものが現れたりしてびっくりしているのだが、「規則」というのはまさにそういうものだろう。今度はそうしたものを私が十分に「外部」に伝えられるかどうかが不安である。


7/14 mon

 フランス語訳が届く。フランス語訳からの日本語訳もしてくださっているのだが、これが実に興味深いので載せておく。もしかしたら、すべてにこうした訳(翻訳の翻訳)をつけるべきだったのかもしれない。しかし翻訳者が外国人の場合、日本語→英語→その他の外国語という軌跡をへているので、必然的に、その間にまた翻訳が入ることになる。ますますおもしろい。


7/15 tue

 今回たなばたにつくってもらったものを取りにうかがったりしたおりに、「これは自分で考えついたんですか?」とか聞かれて、自分でもどうだったかなぁと思うぐらいどうやって思いついたのか思い出せずにいたのだが、やっとどうしてこのようなものになったのか思い出す。私はこれを流れ行く日々を名づけるようとはじめたのだ。
 発端はこれである。私は飲んだコーヒーの粉を集めながら、同じようにしてその日にあったことを、日記のようにこのビニール袋に収集していったらどうだろう、と思ったのだ。そしてそこに言葉をそえる。それがいつしか「ロジアート」から来た七夕の話とあいまって、このようなものになったのだ。
 だからその出発点は、日々を名づけること、なのである。それはとても個人的なことであるとともに、ある日を特別なものにするような行為に見える。しかし本当にそうだろうか。たとえば河原の無数の石がどれも「この」石であるように、どの一日も「その」日でしかありえない。そしてそれは何も特別なことではないのだ。私はありふれた日々の合い間に、忘れ得ぬ特別な日がある、みたいなことを言いたいとは思わない。また、ありふれた日々の大切さ、みたいな話も苦手である。おそらくそれに近い話なのであろうが。
 そうした意味で、今回、このプロジェクトは7月7日をターゲットにし、「願い」をキーにもってきたわけだが、それは同じようにして任意の日付とテーマにかわりうる。そうしてプロジェクトのたびにコレクションを増やしていき、そのたびに展示するスペースを見つけてそれらをすべて一から展示したらどうだろう。10年後、あるいは20年後には…。


7/16 wed

 ブルガリア語訳が届く。日本語が堪能な方で、日本語でブルガリアにお礼のメールを打つと日本語で返事が来る。

 明日はとうとう知人などの協力を得て(というか協力のみで)つくったたなばたプロジェクトの第一弾である「七月七日に」をせんだいメディアテークに搬入する(いっしょに展示する予定のテキストはこちら)。会場ではノートを置いて、今回つくってもらったように、「願い」と、いっしょに入れるものとを書いてもらおうと思っている。もしウェブ上から書いていただける場合にはこちらに。
 これは現代美術家故中本誠司氏を記念して行われる「中本誠司記念現代アート週間」の中の現代アート公募展に出すもので、私はこの作品のほか、すでに2か月くらい前からスタンバイしていたために、何のためにつくったのかすらもう忘れかけているこれも出すつもりである。着彩した紙ねんどの枕木とレンガ、そして白いままの枕木とレンガを、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」と井上陽水の「ワカンナイ」をつけて展示する予定。


7/17 thu

 仙台市で行われる中本誠司記念現代アート週間の現代アート公募展(会場せんだいメディアテーク)に出展すべく、搬入をする。私が出すのは2点。これこれ。参加してもらったたなばたプロジェクトは、今日届いたものまでは展示できたものの、まだ届かないものもあって、それがすこし残念ではある。


7/18 fri

 バイト先から昼休みにぬけ出して、中本誠司記念現代アート週間に出した展示の写真を撮りに行く。実は前日、搬入したおり、私の隣がかなり個性的な展示で、すこし(かなり)心配していたのだが、そこはやはりさすがである。どの展示もひきたつような配置にかわっている。


7/19 sat

 今日も一日仕事だったので、ゆっくり展示を見に行くひまがない。
 夜遅く帰って来ると、電話が鳴った。何か賞をとったのだが、明日の表彰式に出られるか、という確認の電話だった。どんな賞をとったのか、明日が楽しみである。


7/20 sun

 中本誠司記念現代アート週間へ。やっとちゃんと展示を見ることができた。やはり中本誠司の展示が何よりもすばらしい。低温倉庫に千点ほど眠っているのだそうだが、なかなか見る機会がないのは残念なことだ。
 公募展に私は2点出品したのだが、sleeperが嶋本昭三賞を、「七月七日に」がGROUND賞と和カフェC7賞をいただく。嶋本昭三賞はそのまんまとして、あとのふたつはいったいどんな賞かと言うと、この公募展では希望者が賞をつくって出展者に与えることができるようになっており、アートプロジェクトを企画しているGROUNDさんと、会場であるせんだいメディアテーク近くの喫茶「和カフェC7」さんから、それぞれ椅子(テーブル?)およびグラスと、1週間個展をする権利をいただいたのである。椅子は展示の前に会期中飾っておき、搬出のおりにいっしょに持ち帰ろう。
 表彰式と懇親会の後、さっそく和カフェC7へ行き、10/13-19の間に展示をすることに決まった。9月上旬に予定している「ベジタリアン・プロジェクト(仮称)」(企画中)のもようを展示するようなものになると思う。何と言っても七夕のプロジェクトで賞をいただいたのだし。しかしこの喫茶店がものすごく個性的な店なので、そのあたりうまくやりたい。

 ちょっと描いてみたせんだいメディアテークの柱(?)


7/22 tue

 ロジアートの打ち合わせがあるので、いろいろ考えていたのだが、何も入れない袋を用意して、これに訪れた人が文章を書いて入れる、というのもいいかなと思って少し考えはじめる(左はそのイメージ図)。鉛筆と白紙を用意しておいて、私の展示を見かけて何か思いついたら参加してもらう。そしてそれはまさに「その日」を名づけることになるだろう。中に私が何か入れておいてもいいかもしれない。それについて文章だけを入れてもらうわけだ。七夕期間中は午前中と夜はあいているので、その日に入れてもらったものを夜、家に帰って「作品」につくりなおし、翌朝それを展示しに行く、というのもいいかもしれない。ロジアート自体は仙台七夕が終わった後も、その週の終わりまでやっているので、展示されている時間もあるのがいい。今回、中本誠司記念現代アート展に出したおりにも、ノートに「願い」をつくってもらっているので、これもあわせて展示してみようかと思う。

 

 


7/24 thu

 TANABATA.orgのパンフレットが届く(こちら)。たまたまなんだけど、「ロジアート出展アーティスト」の1番最初に載っているのがうれしい。
 ビニール袋を買いに行ったおり、下のような荷札を見つける。一枚ずつよりもたばになっている方がずっとおもしろいのだが、とにかくとても強い印象を与える。ロジアートのおり、訪れた人にも「願い」を書いてもらおうと考えているのだが、この荷札にというのはどうだろう。あるいは、これから行うdatingプロジェクトには、これを使うことにしようか。


7/25 fri

 ロジアート。雨ばかり降っていたり、貝を拾いに行こうと思っていた場所が地震のほぼ震源だったりして、七夕までに「願うこと」に入れる「もの」の数がそろうかどうか少し微妙である。


7/27 sun

 ロジアートに展示する200あまりの展示物を、実際に半分くらいつくってみたのだが、何なくできてしまうだけでなく、地震で取りに行くことが危ぶまれていた中に入れる「もの」も、けっこう足りることに気づいた。もう楽すぎてこれを「制作」などと呼ぶのはやましいくらいである。


8/6 wed

 今日から仙台七夕のはじまりです(昨夜は前夜祭で花火大会)。展示自体は昨日、3,4時間で終わり、200あまりの袋に入った貝殻やら石ころをテープでアーケードの柱につけてまわったのだが、今日昼ごろに行ってみると、昨日つけたはずの場所にない、というのがけっこうあって、予想はしていたものの、次々に記念品として持っていかれてしまっているようだ。それはそれでまぁうれしいことではあるのだが、ストックがもうほとんどないので、最終日にはもう残っていないかもしれない。そこでこれはだんだん「脱皮」していく展示なのではないかとふと思う。つまり、私が用意した展示はだんだんになくなってゆき、からの袋だけを補充していく。一方、願いを書いてもらうコーナーがあって、ここだけは「増えて」いる。その「願い」を書いた荷札をからの袋に入れていき、いつしかアーケードにはられた私の展示は、訪れた人の書いた願いの展示へとかわっている、というわけだ。


8/11 mon

 昨日でロジアートも閉幕。実にいいイベントでした。特に実際にこのイベントを運営していった学生さんたちのすがすがしさ、アートに対する真摯な態度には本当にはっとさせられました。この間の様子をすこしずつアップしていきます(こちら)。


8/13 wed

 やっと労働と日々が終わる。ロジアートの展示風景や、そこで訪れた人に書いてもらった願いをアップしていく。私がつくった展示は最終的には400ほどになり、そのうち手元に100程度が残ったったのだが、整理していて気づいたことには、書いてもらった願いは、この数を優にこえている。
 しかしこうしていろいろな方の手をわずらわせながら積み上げていき、ひとつのものを作ったというだけでなく、提示すると同時にそれが生きもののように、最終日まで完結することなくいろいろな面を見せてくれたり、しかも他の作家の方々の作品とともにあって、そこには作品として提示されない学生ボランティアの方や商店街の方のご苦労などもあって、こんなイベントがあると、もうこんなことは二度とないんじゃないか、などと思えてしまう、その気分。

 

 

 

tanabata project