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門脇篤個展 中本誠司現代美術館展 クレイ・アルファ展 |
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展示までに考えたこと
2003/10/5 sun 中本誠司個人美術館で、前から開きたいと思っていた個展の企画を考える。3月の、受験やテストがすべておわり、塾が春期講習に入る前は塾が比較的ヒマになるので、その時期に行いたい。 10/9 thu 中本誠司個人美術館へ、個展について打ち合わせに行く。中本誠司作品と私の作品とを対置する、という私の無理なお願いも快諾してくださり、本当にうれしい。思えば、世界を舞台に活躍してきた物故作家と私のコラボレーションなんて、本当はどう考えても承知してもらえそうにもない企画なのだが、そこは若者の怖いもの知らずな無謀さのなせるわざとでも言おうか。 10/23 thu 中本誠司個人美術館で再び個展の打ち合わせ。近くにある水の森公園で、「水の森ランドアート」という企画を行い、会期中に開くパーティの前に、ツアーを行う件について説明する。そんな寒いさなか、誰も行かないとは思うのだが、そういうこととは別に、そういうことを考えることが、純粋に楽しい。そしてそれが、私が「意味」といいたくなるものである。 11/7 fri 美術館近くの水の森公園でランドアートを制作し、それを見に行くツアーを組みたいと思っている。3月といえば、当地ではまだまだ春というのは早いのだが、去年の日記を読むと同じような時期に同じようなことをしているので(3/5の項参照)、少なくとも設置は容易にできるだろう。今日もモデルコースをまわりながらいくつかつくり(こちら)、落ち葉もたくさん集めて帰る。 11/10 mon 水の森公園での「ランドアート」。リンクできる企画や何かがないかとか、いろいろネットで調べたりした後、けなげにお役所に問い合わせてみる。出て来たのはまるでねらっているんでしょ、と言いたくなるぐらいに役にはまった、そっけなくてオカタイお役所の方で、公園を私的な目的で利用することはできないし、日常的に散歩するおりにも、私がやっているように葉っぱを勝手に移動するのは好ましくないという。私的な目的でなく公園を利用する人なんているんだろうか。というか、「私的な目的」とかいう言葉自体ばかばかしいんだけど、たぶんそういうことが言いたいのではないのだろう。 11/19 wed 板を白く塗って、印字した無数の文章をはったものを6本つくり、廃墟のような場所に展示してみようと思っているのだが、まずためしに手元にあるこの2本でやってみようと、板をかついでアトリエの裏の水の森公園へ出かける。 11/25 tue 「アートランド水の森」 11/26 wed 昨日から、ずっと以前にあきらめていた50号のテンペラに再び取り組んでいる。そうして途中で投げ出してしまった何枚かのパネルに再び向かっている。 「立入禁止」と書かれた場所の展示。『立入禁止』というタイトルプレートの横に、「入ってください」というキャプションがついている。 11/27 thu 今まで草や何かを一本一本描いていたのだが、もっと大きく印象をとらえるようにしようと思って描き始めた40号のテンペラが、一生懸命描いているかいあって、もうすぐできあがりそうだ。どんどん画面が暗くなっているのがすこし気になる。 12/2 tue 先週届いた80号の木製パネルに石膏塗りをする。実はテンペラを描き始めてけっこうたつのだが、今までどうもにかわの具合がよくないなぁと思っていたその原因が判明。しかしあんまりばかばかしい理由だったので書かない。 12/21 sun 中本誠司個人美術館で23日まで開かれている大竹翠子展へ行く。ちょうど大竹さんを囲む美術館スタッフの夕食会が用意されていて、話しているうちにすっかりごちそうになってしまう。 12/30 tue 「アートランド水の森」「アートフィールド大倉」…。 12/31 wed 今年の終わりに40号のテンペラを1枚仕上げる(こちら)。 2004/1/2 fri テンペラに取り組む。50号2枚を使った1年以上前から描いているのを3月の個展に出そうと思ってがんばっているのだけれど、なかなか進まない。 1/3 sat すすきのスケッチをする(こちら)。ある意味、ほとんどのすすきはきれいなのだが、整っているという意味できれいなすすきではなく、常に風に吹かれているためにどこか雑然として、見苦しくさえあるようなという意味で美しさを感じるすすきを描きたいと思っている。そういうすすきはあんまり山の方に行くよりも、その辺のつまらない空き地で見かけることが多いように思う。 1/4 sun またすこしすすきのスケッチをする((こちら)。すすきは根で冬越しするから、地上に出ている部分はいわばぬけがらである。晩秋から初冬にかけて、青かったすすきが色づき、やがて枯れていくようすは、その魂がぬけてまさにぬけがらになるようすを見ているようで、本当に美しい。そして枯れてしまったすすきの立ち姿。私はこれを2枚の大きなパネルに表現してみたいと思う。 1/13 tue ここのところ、風邪でずっと寝込んでいて、今日ひさしぶりにアトリエに足を運んだ。もう少しスケッチを重ねてから、と思っていたのだが、ふともう描こうと思って180×90の石膏塗りしたベニヤ板に、すすきの絵を描いてみる。スケッチを見てもわかるとおり、「水墨風」のものをと思っていて、それなりにそれらしいものにはなるのだが、何となくちがうような気がする。きっとまだあまり「練習」していないから、それらしさとそれそのもののちがいがわからないのだろう。何年もかけて描いていこうと思う。 1/18 sun ある経験について、別の人間がそれを「知る」のは難しいとか、不可能だとか、あるいは逆にそんな経験など、実は存在しないのだとかいうことが言われる。確かに、ある経験は「知る」ことができる形式になってはじめてそれと知られる(つまり存在する)わけで、どこか言葉あそびのようだけれど、「知る」ことができるものでなければ、「知る」ことはできない。だから重要なのはその形式で、それが形式であるためには、一回限りのものではもちろんだめだし、私にしかわからないものなどもってのほかである。しかしそれは言葉という形式に基づいているとは限らないから、ある程度(どの程度なんだろう)のひとによって共有されるものなら、「知る」ことができるし、逆にそうした新たな形式を見つけ出すことが、アートをはじめとする営みなのだろう。そして、そうした形式間をつなぐものが、比喩なのだと思う。比喩は、それなしでは、形式の間をつなぐことができない大切なものである一方、しかし厳密に比喩としてとらえられなくてはならないと思う。そうした、「知っている」ものの中に定位する「私」。あるいは、「知っている」ものに支えられて在る「私」。 絵を描く。また、ずいぶん間があいてしまった。3月の個展に、十分な準備をして作品を出せるだろうか。 1/19 mon ずっと丘の絵の、枯れ草を描き続ける。 1/20 tue 3月の個展に出す平面は、すべてテンペラで、枯れ野の絵になると思う。立体としては、紙ねんどでつくった丸太(今日、心材を発砲スチロールでつくる)と、6本の石膏塗りした細長い棒に言葉をつづったもの。それから、毛糸。美術館自体を毛糸で結ぶほか、晴れた日を選んで、駐車場に車をとめ、車を毛糸でぐるぐる巻きにしようと思う。また、近くに毎日私がその上を自転車で通り、その下を車で通る陸橋があるのだが、そこに毛糸をたらし、「毛糸の陸橋」を出現させたい。歩いていける場所にある「水の森公園」でも仮設作品を展示、特に雪や氷(つららとか)を使った、すぐに消えてしまうようなものを写真におさめるということを期間中にしようと思う。 2004/1/23 fri 個展の案内をつくる(こちら)。ところで、この個展のタイトルは、なかなか決めない私にかわって、美術館スタッフの原田さんがつけてくれたものだ。たぶん、私は自分ではこういうタイトルはつけないだろう。それがいい。中本作品との「コラボレート」といい、「私」が何かにさらされることは、私が「私」であることを自覚させる。それでどうなる、ということではなく。 1/25 sun 夕方、水の森公園へ。雪がとけて、落葉の上でシャーベットのようになっていた。ところどころ厚くとけのこっているところがあって、そこは雪でふかふかだった。公園の中にある堤には氷がはっていて、石を投げて氷を割った後があちらこちらに見受けられた。どうしてせっかくできた氷を割ろうとしたりするのだろう。別にそれが悪いことだとか、道徳的な意味(「みんなで〜を大切にしよう」)で言うのではなく、純粋に、一面まっさらな氷のはった池は、美しいだろうに。 1/26 mon この一年をふりかえっていて、ふと去年の4月にはクレイ・アルファで個展を開いたのだったと思い出す。クレイ・アルファは、私がときおりバイトに行くオリジナル・タイルをつくっている会社で、その関係から現在、中本誠司現代美術館の2階部分の修復工事を請け負っている。私はふと、3月の個展のおり、中本誠司現代美術館とクレイ・アルファという、このふたつの場所で個展を同時開催したらどうだろうと思いつく。一方は、中本誠司ののこした作品とともに、もう一方は、クレイ・アルファのつくるタイルやれんがとともに。一方は、これから生まれるアートの場として、もう一方は、この一年をふりかえって。美術館の近くに水の森公園がある一方、クレイ・アルファの近くには「トチノキ公園」という、立派なトチノキが立ち並ぶ、規模は小さいものの、素敵な公園があり、ここで期間中、例の毛糸の展示もしたいと思う。このふたつの距離は、車でほんの15分ほど。私が愛用している猫道を通れば、自転車でも20分くらい。 ひたすら枯れ草をハッチングのようにして描いている。とんでもない無駄なことをしているのではないか、とずいぶん前から不安に思いながら。 1/29 thu 中本誠司現代美術館で、美術館スタッフの原田さん、クレイ・アルファの社長さんと打ち合わせ。個展はこの2か所にまたがって開催できそう。 1/30 fri クレイ・アルファで、再び個展の打ち合わせ。昨年、タイル・メーカーであるこの会社がかかわった施工例のいくつかをピックアップして、設計会社向け資料としてそのコンセプトの概略を1冊のファイルのかたちにまとめる、というのをやったのだが、それと同じようにして私が昨年行ったライフタウン・アート・ツアーなどでの各種のアート・ワークについてのコンセプトをまとめたファイルをつくり、それを並置したらどうかと思う。そのことについて考えると、わくわくする。しかし本当にそれがおもしろいものになるかどうかはわからない。では、実際にやったとして、それがおもしろいものになったかどうかは、どうやってわかるのだろう。 2/1 sun 今日はずいぶん絵が進んだ。特にこの中本作品とともに展示しようと思っている、それと同サイズ(180×90)の抽象風のテンペラが、とてもうまくいきそうないきおいである(ここまで描いた)。 2004/2/2 mon アトリエの水道が漏水しているということで、工事がはじまり、水を使わない作業(というか制作)もいろいろあるのだけれど、午後からお休みして個展の案内や展示の内容などについて考える。 2/3 tue 中本誠司の作品について、私はそれが、既存の何ものかを破壊していくこと、たとえばスタイルというものを破壊していく行為を表現しようとしたものではないかと思っている。ところで、何かに対抗し、何かを破壊していくことは、結局のところ、その対抗し、破壊しようとする当のものをより強く浮かび上がらせてしまうことでもあり、結局のところ、それと依存関係にあるのだと思う。ではそれに気づき、あえて対抗も破壊もしない、という姿勢がいいのかと言えば、どうだろう。それが「あえて〜しない」であるうちは、よくないと思う。本当にそれがどうでもよくならなくては、だめだろう。逆に、その反抗心や破壊への情熱に突き動かされた純粋無垢な「使命感」に、ぴったりとはりついているというのは、幸せなことにちがいない。私と「私」とが、ぴったりと一致している、あるいは一致するとかしないとかに気づきもしない、というのが幸せな生であるように。 かなり前から描きかけにしていた25号のテンペラに、突然取り組んでいる。天井につるされたボート(カヌー)を描いたもので、7,8年前、実際にその風景に出会い、スケッチした。 2/4 wed 個展の内容がだいたい決まり、どれを完成させればいいのかがわかってきて、何となくある種の緊張感、即興的な感じが消えていき、何かを消化していくような感じが自分の中に広がってくるのがわかる。急に制作が作業になっていくような。 2/5 thu 以前、こつこつとつくりためていた紙ねんど製のコーヒー豆。着彩して、datingとともに展示する予定。量り売りも検討中。 2/6 fri 一日、テンペラを描き続ける。つかれた。何かこういうことをしたかったのだろうか(ちがうんじゃないか)という気がずっとしている。 2/9 mon 一日、テンペラを描く。天気がよかったので、水の森公園へ、「毛糸のつらら」をつくるための下準備に行こうかと思っていたが、何やかやするうちに結局時間がなくなってしまった。 2/17 tue 先週から今週はじめまでにやったこと。25号くらいのボートの絵を仕上げる。「ロボドッグ」をつくる。枯れた丘の絵がもうすぐ完成しそう。80号の絵に絵具を塗りはじめる。枯れた丘の上に建物がある絵の30号版(はじめ50号に描き始めたものをやめて30号にしたもの)がかなり進む。30号の小屋の絵がかなり進む。50号を2枚並べた小屋の絵がけっこう進む。ということでアトリエで絵を描く毎日。まるで本当に画家のようだ。 2/20 fri DM用にこれまでにだいたい仕上がった絵の写真を撮り、あまったフィルムを使おうと水の森公園に出かける。昨夜の水気の多い雪が、今日の温かい大気でとけ、足場がとても悪い。切り倒したばかりの木があちこちに見受けられ、それを使ってこういうのをつくりながら堤の方まで歩いていくと、営林署の人たちが木を伐採していた。太い木を切り倒して、それを1メートルほどに切り刻んでいくのだが、ある場所では、斜面にそれらが密集して投げ出され、さながら「アート」の体をなさんとしているのだが、しかしやはりあまりに雑然として、これだけの「素材」がありながら、もうすこし倒し方とか並べ方にも気を使ったら、とても「いいもの」がつくれるような気がしてならない。ちょっと並べかえてみる(これ)。 2/21 sat 下は、以前からつくりためていた紙ねんど製のコーヒー豆に、着彩したもの。ひと粒だけ、「ホンモノ」をまぜてある。この「ホンモノ/ニセモノ」についてはけっこう関心があって(たとえばこれ)、結局は「この〜」と関連しているからだと思う。 たとえば、ホンモノよりホンモノらしいニセモノとか、どう見てもニセモノよりホンモノらしくないホンモノとか。「ホンモノとは何か?」的な問いにも、本当にただ単にそれらの境界を分けること、ということは大きな意味では逆にそれらを結びつけることと関わっているのなら、私はその問いに意味があると思う。しかしそれがあるものに足場を置くことを目に見えない前提としていたり(「ホンモノ志向」)、さらにはそのもの以外を議論から取り除くことを主眼としたものであるなら、あまりにもおろかしいことだと思う。端的に言えば、「ホンモノ」、などと言って、それがすでに「よいもの」を前提していると思うなら、もう何も考えない方がいい、ということだ。そこからはどんな物語も生まれない。逆にすでにそこには予想される「物語」のレールが延々と先までひかれている。「ホンモノ/ニセモノ」が、あらゆる視点からの物語を許すような、そうした視点のずれ、自由。それこそが、目指されるべき対象で、逆に言えば、そういうところにしか物語は生まれない。 2/24 tue 以前から計画していた、山で拾ったすこしねじれた丸太を紙ねんどでつくる。以前から愛用していた紙ねんどが、100円ショップから姿を消して、いったいどうしたらいいのだろうとこの半年ほど悩んでいたのだが、少し前からまた出回りはじめ、さっそく40個ほど買い込んでおいたのだ。お手本の「ホンモノ」には、キノコもはえていて、それがカラカラに干からびて恐竜の背中みたいになっているのだが、それは無視して、とりあえずそのねじれた感じを表現したいと思う。同じものでは何なので、鏡像になるようにつくってみる。これを2本並べると、ひとつの流れがそこにできる。 2/25 wed 今日は何だかうまくいかないことばかりで、けっこううまくいっていた大きな絵を2枚くらいだめにしてしまったかもしれない。 2/26 thu 自分には何もきちんとしたことができないような気がしてくる。もうこれで100号ほどの大きな絵を3枚もだめにしてしまった。本当に、自分にはもう何ひとつまともなことができないような気がする。 2/27 fri 今日はすこし昨日よりは気分がよくなった。たぶん、中本誠司作品と並べて展示することになる抽象画が大方できあがる。大きな絵は、いくら絵具を溶いてもすぐになくなってしまうのでたいへんだ。 2/29 sun 紙ねんどでつくった丸太に着彩をはじめる。本当に、何で自分はこんなことをしているのだろうと、まったく無責任ではあるものの、思った。 2004/3/1 mon 40号の絵が1枚完成する。これでほとんど大きなものは出来上がった。 3/3 wed やっと個展のDMができあがる(こちら)。思ったより「劇画タッチ」でちょっとあれだが、あちこちに置いてもらって回った。夕方、朝日新聞のたぶん東北地方版の土曜日に掲載されている「とうほくマリオン」で、個展の告知してくれるというお電話をいただく(3/6の朝刊に載ります)。DM、心あたりの方には送付しますが、記念に1枚欲しい、とかいう方は住所を書いてメールにてご一報ください。 3/5 fri 個展のDMなどを置いてもらいに、いろいろな場所をめぐる。すこしごぶさたしているところに顔を出したり、説明したり、とりあえずこうして動くのはそれだけで何かしている、という気分になる。いろいろなところに案内も出した。あとはつくるだけだ。 3/7 sun 個展中、中本誠司現代美術館では何をしてもいい、というのでBGMには「SATOKO」のほか、以前私がつくりためていた「曲」を流そうともくろんでいる。 3/10 wed 今日で個展に出す予定のものはすべて制作が完了。あとはよく乾かして展示するだけ。 今日発売の「せんだいタウン情報」、「アート」のページに個展案内、写真入りで載せてもらえたのですが、送った絵の写真資料が写真みたいだったからか、私がこの個展で写真を展示すると本文中で説明されています。これはまったくのあやまりで、展示作品はすべてテンペラ画とテンペラによる着彩をほどこした立体、そして毛糸をはるパフォーマンスとそれによって出現する毛糸の展示です。
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